19日の朝刊新聞を見て - 地元の民 2010/05/19(Wed) 14:00 No.944
県神社庁・神社本庁・文科省は気多大社問題の三井との争点を勘違いしたのか、 結果的に惨敗をして、地元にごめんなさいか・・・・これ以上戦いたくない、戦うなとの、神社本庁よりご指導いただいている様な、謝罪会見だったかなと私は感じました。そもそも原点は前宮司桜井氏が無くなり、其の後任は誰が適当かと議論を積み重ね、責任役員は、三井(権禰宜当時)を推挙した。それは桜井宮司の基で、三井は補佐してきたのでと理由であった。然し当時寺家町の名士、藤井先生、桜井郵便局長は当時毎日のように気多社務所に出入りしていた為、三井の行動、性格、(ろくでなし)を把握していた為,責任役員で決めた三井の宮司就任に対し、異議を唱え当時の本吉気多筆頭責任役員は苦慮の末、両権禰宜(三井秀夫・桜井基生)に 覚書を交わした.つまり、15年後三井が65歳になったら宮司職を退き、桜井氏に譲るとの確約書であり、三井はその後名誉宮司として任じると、記載されていた。 それが両者が各責任役員の前で交わした覚書である。然しながら 三井が64歳になると、当時の責任役員本吉氏と羽咋神社今井氏が神社本庁(東京)と掛け合い三井の宮司退任にあたり神職1級の資格を与え奔走した。結果的に其の両者の努力が実り三井宮司に1級資格を与え無事桜井氏と交代するものと、 本吉二六氏は喜んでいたが三井宮司本人は1級の神職資格を得て、毛頭退職する心 無い。其の以後、地元町会は約束が違うと本吉役員と供に抗議した。その後地元の有志で現状を伝える看板を立て結果的に名誉毀損で裁判となった訳です。 その様な地元3町会長(寺家町、一宮町、滝町)の総代職定位置を取り上げ、志賀町、鹿西他言いなりの方ばかりを総代に就け、責任役員も意中の方々ばかりで登録し直し運営を好き勝手にしている現状。この様な現状下明治神宮の本庁離脱を真似気多も離脱を石川県に提出し一時は認可されたが、文科省の控訴で県は取り下げたのであった。名古屋地裁で三井は控訴したが地裁の判断は門前払いの却下であったので弁護士三林はこの争いは収束したのであれば商売上がったりなので、 三井と東京の文科省の戦いにもち込み結果見事打ち破った。 三井の離脱が優先か文科省の処分が優先かの争いでなく 「覚書」が有功か否かを争うべきと私は思いますが各氏は如何に想いか 聞いてみたい。NORIさん春雷さん一言、お願いします。 乱文お許しを・・・・
Re: 19日の朝刊新聞を見て - 管理人 2010/05/20(Thu) 18:06 No.945 >「覚書」が有功か否かを争うべきと私は思います
私も全く同感、実はこの掲示板を開設したのも、三井が余りにも約束(覚え書)を守らないで気多神社が地元ともめている事が発端だったのです。
今回の裁判結果に三井側は勝ち誇ったようにはしゃいでいるようですが、アレは神社本庁(神社庁)と三井の本庁離脱に関する裁判で、覚え書問題とは全く関係ありません。 これからは原点に帰り約束を守らない神職(あの元羽咋神社今井宮司のお世話で神社本庁から貰った神職一級資格もただの紙くずか?)の三井が運営する”地元不在の今の気多神社”を正常な能登一ノ宮気多大社に取り戻す運動のスタートだと思います。
しかし新聞で三井は神社本庁とは違う組織に入る、と言ってるようですがどんな組織?
Re: 19日の朝刊新聞を見て - NORI 2010/05/21(Fri) 14:51 No.946 い新聞を見ていないので、なんとも言えないのですが、地元の民さんの怒りは、経緯を知るものとしてよく理解できます。
私は、もともと神社本庁や文科省の訴訟は、ヤバイなと感じていたので、結果は残念ですが、悪い予想が当たった感じでした。
原点戻って、どうやって正常化するか。これは地元の民意をどう正確に反映する組織にするか、出来るか、にかかっていると思います。たとえば、地元3町会長(寺家町、一宮町、滝町)を責任役員から排斥する意図(悪意と云ってもよい)があるとなれば、その不当性をどうすれば公的に認定させられるのか? 現状の法制度からすれば、傀儡の責任役員ではなく、地元の意向を踏まえた役員を送り込むしか、正常化の方法がない。
どうしてもだめなら、たとえば・・気多の神様には、少彦名像石神社・あるいは羽咋神社・気多本宮にでも仮遷座を行い、気多の森には神はおりません、とでもして、今後、地元は、神のいない気多大社と縁をきる。 だがもし、将来に正常化されたあかつきには、神様にお戻りいただく。そんなことを石川県神社庁と協議して、行えないでしょうか?
地元の意向を無視して神社本庁から独立する新興三井教神社に、気多の神様の祭祀を預けるわけにはいきません。と、私は思うのです。
Re: 19日の朝刊新聞を見て - 管理人 2010/05/21(Fri) 17:39 No.947 昨日市内で、ある経済団体の有能で見識のある方と気多のことが話題になり話していたら、その人いわく「あの三井秀夫は親の代に埼玉の秩父から流れて来た人間だ」との事で、さらに裁判の事でも「三井の弁護士は秩父出身で東大出の優秀な者らしい、そんな弁護士を3人?とか雇っての結果だった」さらに「あの弁護士は今までも反神社本庁側の裁判をやってきた者たちだ」とも言ってましたが、真偽の程は分かりませんが、地元にはまだまだ気多の正常化問題を真剣に考えている人たちは沢山います。
先日19日だったか観光協会の理事会と懇親会がありましたが、ここ数年三井は懇親会や新年会には欠席続きだったので、あの判決以後は元気が出て懇親会にも来てました!
あの息子と親父はいつもなら酒もって全部の席へお酌に回るんですが、今回は隅のほうでおとなしく飲んでました、まさか私が居たので酌に回らなかったとか・・・ だったら悪いことをしたなあ〜
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