早く気多神社に春を!

我が気多神社(通称:気多大社)がここ数年”宮司の覚え書き不履行”の裁判沙汰や地元住民とのゴタゴタで大変なことになってます、最近になって又神社本庁の離脱問題で又もめてます。そこで早く気多神社が正常な姿になって欲しいと願いこの掲示板を開設致しました。皆様の建設的なご意見をお待ちしております。(気多の正常化の妨げになるような投稿は管理人の判断で削除する場合がありますのでご了承下さい。)


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19日の朝刊新聞を見て - 地元の民 2010/05/19(Wed) 14:00 No.944   
県神社庁・神社本庁・文科省は気多大社問題の三井との争点を勘違いしたのか、
結果的に惨敗をして、地元にごめんなさいか・・・・これ以上戦いたくない、戦うなとの、神社本庁よりご指導いただいている様な、謝罪会見だったかなと私は感じました。そもそも原点は前宮司桜井氏が無くなり、其の後任は誰が適当かと議論を積み重ね、責任役員は、三井(権禰宜当時)を推挙した。それは桜井宮司の基で、三井は補佐してきたのでと理由であった。然し当時寺家町の名士、藤井先生、桜井郵便局長は当時毎日のように気多社務所に出入りしていた為、三井の行動、性格、(ろくでなし)を把握していた為,責任役員で決めた三井の宮司就任に対し、異議を唱え当時の本吉気多筆頭責任役員は苦慮の末、両権禰宜(三井秀夫・桜井基生)に
覚書を交わした.つまり、15年後三井が65歳になったら宮司職を退き、桜井氏に譲るとの確約書であり、三井はその後名誉宮司として任じると、記載されていた。
それが両者が各責任役員の前で交わした覚書である。然しながら
三井が64歳になると、当時の責任役員本吉氏と羽咋神社今井氏が神社本庁(東京)と掛け合い三井の宮司退任にあたり神職1級の資格を与え奔走した。結果的に其の両者の努力が実り三井宮司に1級資格を与え無事桜井氏と交代するものと、
本吉二六氏は喜んでいたが三井宮司本人は1級の神職資格を得て、毛頭退職する心
無い。其の以後、地元町会は約束が違うと本吉役員と供に抗議した。その後地元の有志で現状を伝える看板を立て結果的に名誉毀損で裁判となった訳です。
その様な地元3町会長(寺家町、一宮町、滝町)の総代職定位置を取り上げ、志賀町、鹿西他言いなりの方ばかりを総代に就け、責任役員も意中の方々ばかりで登録し直し運営を好き勝手にしている現状。この様な現状下明治神宮の本庁離脱を真似気多も離脱を石川県に提出し一時は認可されたが、文科省の控訴で県は取り下げたのであった。名古屋地裁で三井は控訴したが地裁の判断は門前払いの却下であったので弁護士三林はこの争いは収束したのであれば商売上がったりなので、
三井と東京の文科省の戦いにもち込み結果見事打ち破った。
三井の離脱が優先か文科省の処分が優先かの争いでなく  「覚書」が有功か否かを争うべきと私は思いますが各氏は如何に想いか
聞いてみたい。NORIさん春雷さん一言、お願いします。
乱文お許しを・・・・


Re: 19日の朝刊新聞を見て - 管理人 2010/05/20(Thu) 18:06 No.945

>「覚書」が有功か否かを争うべきと私は思います

私も全く同感、実はこの掲示板を開設したのも、三井が余りにも約束(覚え書)を守らないで気多神社が地元ともめている事が発端だったのです。

今回の裁判結果に三井側は勝ち誇ったようにはしゃいでいるようですが、アレは神社本庁(神社庁)と三井の本庁離脱に関する裁判で、覚え書問題とは全く関係ありません。
これからは原点に帰り約束を守らない神職(あの元羽咋神社今井宮司のお世話で神社本庁から貰った神職一級資格もただの紙くずか?)の三井が運営する”地元不在の今の気多神社”を正常な能登一ノ宮気多大社に取り戻す運動のスタートだと思います。

しかし新聞で三井は神社本庁とは違う組織に入る、と言ってるようですがどんな組織?

Re: 19日の朝刊新聞を見て - NORI 2010/05/21(Fri) 14:51 No.946

い新聞を見ていないので、なんとも言えないのですが、地元の民さんの怒りは、経緯を知るものとしてよく理解できます。

私は、もともと神社本庁や文科省の訴訟は、ヤバイなと感じていたので、結果は残念ですが、悪い予想が当たった感じでした。

原点戻って、どうやって正常化するか。これは地元の民意をどう正確に反映する組織にするか、出来るか、にかかっていると思います。たとえば、地元3町会長(寺家町、一宮町、滝町)を責任役員から排斥する意図(悪意と云ってもよい)があるとなれば、その不当性をどうすれば公的に認定させられるのか?
現状の法制度からすれば、傀儡の責任役員ではなく、地元の意向を踏まえた役員を送り込むしか、正常化の方法がない。

どうしてもだめなら、たとえば・・気多の神様には、少彦名像石神社・あるいは羽咋神社・気多本宮にでも仮遷座を行い、気多の森には神はおりません、とでもして、今後、地元は、神のいない気多大社と縁をきる。
だがもし、将来に正常化されたあかつきには、神様にお戻りいただく。そんなことを石川県神社庁と協議して、行えないでしょうか?

地元の意向を無視して神社本庁から独立する新興三井教神社に、気多の神様の祭祀を預けるわけにはいきません。と、私は思うのです。

Re: 19日の朝刊新聞を見て - 管理人 2010/05/21(Fri) 17:39 No.947

昨日市内で、ある経済団体の有能で見識のある方と気多のことが話題になり話していたら、その人いわく「あの三井秀夫は親の代に埼玉の秩父から流れて来た人間だ」との事で、さらに裁判の事でも「三井の弁護士は秩父出身で東大出の優秀な者らしい、そんな弁護士を3人?とか雇っての結果だった」さらに「あの弁護士は今までも反神社本庁側の裁判をやってきた者たちだ」とも言ってましたが、真偽の程は分かりませんが、地元にはまだまだ気多の正常化問題を真剣に考えている人たちは沢山います。

先日19日だったか観光協会の理事会と懇親会がありましたが、ここ数年三井は懇親会や新年会には欠席続きだったので、あの判決以後は元気が出て懇親会にも来てました!

あの息子と親父はいつもなら酒もって全部の席へお酌に回るんですが、今回は隅のほうでおとなしく飲んでました、まさか私が居たので酌に回らなかったとか・・・
だったら悪いことをしたなあ〜

空しい日々 - 地元の 2010/05/14(Fri) 17:42 No.940   
県神社庁並びに羽咋市神社支部は三井の総てを理解していると思いますが・・・・それにしても現気多神社の裁判は総てが決着されたの?本当にこの様な結果を地元は受け入れ、羽咋市寺家町の地籍なのに此れからずっと横目に通りすがるだけ。
神社本庁(東京)は羽咋の事、状況理解、出来ないと思うが、尚の事、その管理団体の文部科学省は羽咋の気多。・・・・何の裁判?・・・戦おう。事実を把握して負けてはいけないんだと思わないわな。
名古屋地裁では門前払いを受けた「やから」は戦術方向転換して東京の文科省を相手として、戦い始めた。神社本庁は厚見氏に下駄を預け文科省も高みの見物。
この気多問題は単なる覚書の履行どうのこうのの、戦いじゃなく神社本庁の土台を揺るがす裁判だと理解していないので・・・
先月の会館に於いて単なるごめんなさい。
後は如何することも出来ない、申し訳ない/・・・こんだけ?
後は地元が責任役員宅を訪問してお願いしてください?・・・・・・・・
気多の信頼は落ち収益は相当に落ち込んでいると思うが、文科省は負けても
あらゆる角度から裁判沙汰で争い神社本庁並びに県神社庁が訴えるとか、1からやり直して欲しいものです。用は資金不足攻めをしてでも。
地元は三井側を応援していないのだから、
名古屋地裁の「三井の上告拒否」あの勢いは何処へ

Re: 空しい日々 - 管理人 2010/05/15(Sat) 15:06 No.941

ノリさん地元のさん、色々な思いや疑問がありますよね。

私も寺家会館では”地元の”さんと同じような思いにかられました。

>神社本庁は厚見氏に下駄を預け文科省も高みの見物。

>先月の会館に於いて単なるごめんなさい。
>後は如何することも出来ない、申し訳ない/・・・こんだけ?
>後は地元が責任役員宅を訪問してお願いしてください?・・・・・・・

今ここであんまり喋ると三井達を喜ばすだけになりそうだから余り多くは云いませんが、神社庁の人たちは気多の問題から開放されてホッとしてましたね!
あれが本音でしょう。
でも最後に弁護士ぐらい来て説明してほしかったですよね、でも弁護士に来てもらうと又金がかるのかな?
まあ最後は弁護士費用(資金力)の差がもろに出たかんじでしたね!

しかし気多神社の問題は、本来裁判など訴訟合戦はなじまないですからこの問題はこれからが本番だと思います。

地元にこんなに熱心な方々いらっしゃるんですから、これからですよこれから!
地元からの気多の正常化を思う気持ちが三井達にはジャブのように効いてきて彼等には怖いと思いますよ、裁判は三井に任せて我々は頑張りましょう。

無題 - NORI 2010/05/14(Fri) 15:21 No.939   
春雷さん
神社本庁を離れた気多神社は、石川県神社庁とも決別したのでしょうか?
神職の資格はどうなるの?それとも国学院に行くの?
独立宗教法人・気多神社が認定すれば、大宮司にでも、教祖様でも名乗ることができるんでしょうか?

Re: 無題 - 春雷 2010/05/15(Sat) 18:32 No.942

NORIさんの仰るとおりです。石川県神社庁は神社本庁の委任を受けた事務を執るところでもありますから神社本庁から離脱すれば当然石川県神社庁との関係もなくなるでせう。
神職資格などは要らないのとちがいますか。勝手に好きなように出来るでせう。そう、大宮司でも教祖さまでも親方でも殿でも教主でも祭主でも出来るんじゃないでせうか。

Re: 無題 - NORI 2010/05/16(Sun) 17:38 No.943

神社は、資格がなくても、だれでも、要件さえ整えば認可を受ければ宗教法人が得られるんですね。

宗教法人資格取って、気多の神をかってに勧請して、御賽銭箱置いて、加持祈祷・・・こちら本家気多神社ですって・・・名乗ってもいいんですか?

Re: 無題 - 春雷 2010/05/23(Sun) 12:01 No.948

遅くなりました。神社でなくても一般法人は要件が整えば誰でも設立出来ます。宗教法人の場合は宗教団体活動の実績が必要だと思います。オーム事件以来厳しくなっていると思います。だから、変なヤカラが休眠・不活動法人を買い取ったり、役員になったりして不正に悪用している事件もあります。この前もラブホテル経営というのがありましたのはご存知でせう。
さて、「こちら本家気多神社」と名乗ると裁判になるのは必至でせう。

神社本庁の在り方 - NORI 2010/05/03(Mon) 11:33 No.934   
以下のような神社本庁への意見もあります。もし、問題あれば、削除ください。しかし神社本庁も真摯に耳を傾ける内容だと私は思います。

≪近年になってなぜ、神社本庁に反旗を翻す神社が増えているのでしょうか?

その背景には各地の神社の存亡の危機があります。

近年インターネット参拝などユニークなアイデアがマスコミにも取り上げられましたが、最近は参拝とまではいかずともお札をネットで買えるようになったりと、神社のITかも進みました。その他にもTVCMの普及や受験グッズの販売、鉄道会社との提携プロモーションなど、各神社が生き残りをかけ、必死の努力を続けています。

何故なら、宗教離れが進む現在において、新たな収入源の確保と多角化は各地の神社にとっての死活問題だからです。

一方で、神社本庁はこうした行為を「神の尊厳性を損なう」として快く思っていません。そもそも神社本庁にとってはホームページの作成ですら、好ましくはないのです。まぁ、神社本庁の言わんとすることも一理あるでしょう。かくいう筆者は長らくIT業界でビジネスを続けていますが、それでも「神社のIT化・ネット対応」など言葉にしてしまえば、まさにジョークのように思えてしまいます。

しかし、地方の各神社にとっては生きるための必死の努力なわけです。「言いたいことはわかるけど、現実にはそうとばかりもいっていられない」というのが、各地の神社の本音。宮司にとって神社の置かれた状況はまさに死活問題であり、神社本庁の理想論などは、氣多神社の言うところの「神社と神職を守ることができなくなった神社本庁」としか映らないのです。

実質的な国の後ろ盾の元、身分が保障されている神社本庁には危機意識というものはありません。その一方で各地の神社は信者の減少とそれに伴う寄付金の減少から財政難に陥っており、運営を続けていけない神社も出ています。旧来通り「神の尊厳性を大切にしよう」とする保守主義の神社本庁。対する、死活問題を背景にあらゆる経営を探る各地の神社。この構図は、

 危機的な状況にある地方 VS 旧態依然とした中央の官僚組織

という国の政治の構図にも似ています。
そして、民意の洗礼を受ける政治の世界でさえ、この構図を変えられていないという現実から学べば、神社本庁がその態度や考え方を改めるという可能性は極めて低いことが分かるはずです。それに何しろ、神社本庁側が本庁側で「我々は正しいことをしている」と確信していて、その言い分にも確かに一理あるわけですから。

しかし今回の裁判(気多)の結果によって、他の神社にも追従の動きがおそらく現れるでしょう。そして長い年月を経て神社本庁はその権力を失い、縛りの緩い加盟団体へと変化していくように思われます。
それに、そもそも信仰がどうあるべきかという事を、実質的に国の後ろ盾を得ているような機関が決めるのも、おかしな話ですしね。 ≫以上は引用です。


今回の最高裁判断には、文科省が起こした裁判だったことが、心象的に裁判官に、『国家神道』への回帰だとトラウマ的に映ったのではないでしょうか?
その結果、一番大切な地域住民の信仰心が無視され、信仰なき商売の神社だけが残っていく。全国の神職さま・・それでいいのでしょうか?

Re: 神社本庁の在り方 - 管理人 2010/05/03(Mon) 12:39 No.935

>≪近年になってなぜ、神社本庁に反旗を翻す神社が増えているのでしょうか?

詳しくは分かりませんがそんなに増えているのでしょうか?

思うに、全国市町村には商工業者のための「商工会」なる組織があります、各県には県連合会があり全国組織として「日本商工会連合会」があります。
同じように「商工会議所」にも、農協にも、PTAにも各地・都道府県・全国と組織が作られて、それぞれの連絡調整、研修、指導などにあたっていると聞いております。

日本には神社がそれらの何十倍、何百倍も存在しており、気多神社のような裕福なところから宮司さんが兼務されているような小さな村の神社まで色々とあります。
しかも神道のように起源が縄文時代にまで遡ると云われている古い宗教を守り継承していく事は大変だと思います、神社の神職さん方が全員神道の理念や歴史、地元氏子との共生の大切さを理解しているとも思えませんし、特に世代交代した若い神職さんは大変でしょう。

時代とともに神社も変わるのは仕方ありませんが、しかし神道・神社の根幹にかかわる部分、特に地元の人たちとのかかわり(言い方を変えると神社は昔から地元民と共に運営され、地元の人たちの心の拠り所となり新年には真っ先にお参りに行く)は不変ですし変えたらいけません。

そんなこんなで、神社庁や本庁の役目は重要だと思います。
以前気多神社がインターネットで”おみくじ”を売りお出したときに本庁が注意したら気多神社がスグに販売を中止しましたが(これなども本庁の大切な役目)これからは好き放題になると思うと寂しい気がしますし、これではいけない!との思いも強くなります。

まずは役員人事を見守りましょう、地元抜きの神社運営など気多以外に例がないでしょうから。




Re: 神社本庁の在り方 - 春雷 2010/05/04(Tue) 19:17 No.937

神社本庁が「実質的に国の後ろ盾を得ているような機関」であるという根拠はどこにあるのでせうか。何をもってそのような解釈ができるのかよく分かりません。
「今回の最高裁判断には、文科省が起こした裁判だったことが、心象的に裁判官に、『国家神道』への回帰だとトラウマ的に映ったのではないでしょうか?」とうことはあるかも知れません。というのは戦後教育をうけた学生運動家は暴力運動では国家転覆つまり革命を起すことは出来ないといことを学び、彼らは国家の組織の主要な部門に入り込み内から自分たちの思いを遂げていこうとしているのです。国会議員のなかにもいます。(外国人に地方参政権を与えるとか、夫婦別姓、子供の権利条約批准、行き過ぎた男女雇用均等法などを主張している。)勿論司法の中にもいます。だから大きい組織・国家・自治体・会社などは悪・敵、労働者・住民は仲間という構図で考えているのでせう。

裁判の限界 - NORI 2010/05/03(Mon) 11:09 No.933   
今回の判決は、≪裁判(司法)の限界≫を感じるものした。
それによって日本の神道と、村落共同体の秩序が崩壊していく現状を、最高裁と云う国家権力が満場一致で追認してしまった。
結果として、歴史的に地域の共有財産であった神社は、住民から手の届かぬ遥か遠い存在なってしまいました。

気多神社は、氏子のいない≪恋の縁結び≫を広める本邦唯一に標章登録された特異神社となりました。全国の恋に悩める乙女たちを救済する≪新興独立宗教法人≫となることを、国家権力が認めたのです。

歴史を無視した無知な裁判官たちによる愚行だと、将来の歴史が断罪することは間違いないのですが、これによって断絶される地域の歴史の継承は、ポンペイの遺跡のように埋もれていくのでしょう。
天災ではなく、人災で歴史の灯が消されるのは、哀れな限りです。

伝統で継承された神事は、ますます地域住民が参加を拒否する形骸化された祭りとなり、集客のイベント行事となって生き残っていく。

そこには、地域と神との共存はなく、地域への神のご加護も、地域住民の支援もない、超然と孤立した神社と云う名前を冠した新興宗教だけが残るのでしょうか。

そんな状況に堕ちいた気多神社の神様を、神社本庁はどう取り戻すのでしょうか?

三井宮司一族は、ただちに責任役員に地元3町会の代表を加え、地元と正常化を図っていただきたい。
地元と喧嘩せず、裁判によらず、融和を図ることこそ、気多の神意とお心得ください。

Re: 裁判の限界 - 春雷 2010/05/04(Tue) 18:58 No.936

<気多神社の神様を、神社本庁はどう取り戻すのでしょうか。>
これは神社本庁が取り戻すのでなく、先にも書いたように地元の方々の熱意しかありません。それには塩をまかれようと、つばを吐かれようと責任役員を説得して三井解任決議をするしかないのです。他に(神社本庁など)に頼っていてはだめなのです。昔から能登、とりわけ一ノ宮地区の信仰の対象、オラガ神様というなら他力をたよらず地元の熱誠を結集して一大運動を起さねばならないのです。
それにしても「裁判の限界」なのか、裁判が三権の上に君臨していて行政を混乱させているのではないでせうか。三権分立とは、行政・立法・司法が互いに牽制と抑制しあって権力の偏在を防ぐと言う目的があるのでせうが。長年当然の規範として拠り所としてきた法律がある日突然全く解釈が違うことになってしまうということはどういうことなのでせうか。此れに対して行政は反論することが出来ないのでせうか。最高裁判所裁判官の国民審査と言うのが衆議院選挙の時併せて行われますがこれは主権者である国民が司法を監督すると言うことなのでせうが、この制度で罷免された判事は未だかっていないのでは?こんな非現実的な制度では何の足しにもなりません。司法が立法、行政にダメだしするのなら逆に司法にダメ出しをしても良いのではないかと思いますが。それが三権同権ではないのでせうか。無知蒙昧のたわ言かも知れないけど。

史実は曲げられない - NORI 2010/04/23(Fri) 22:18 No.926   
私がもし歴史を知らぬ教条主義の法律家なら・・・間違いなく最高裁判決と同じ結論に達していただろう。だが・・惜しむらくは私が能登の気多神社の歴史を知ってしまったことだ。・・ゆえに・・最高裁の判断は不当だと断言する。

しかし、地元の民さんが知るように、私が知るように、気多神社の独立は、日本の史実を無視し、地元の意向をないがしろにし、能登の祖先に泥を塗る国家的な大罪を、最高裁が認めてしまった結果なのだ。と云って、最高裁判事の歴史への無知蒙昧ぶりを嘆いても、もう取り戻せない。

これは気多大社の歴史が被った冤罪事件である。
その大罪を犯した判事どもを許すわけにはいかない。また十分な主張もせず、文科省(国家)に頼り切った神社本庁とて同罪である。神職の皆さまには、ただしい神の道の立て直しを期待している。

如何に今の最高裁判事が下した判決が不当なものかは、今後の歴史の中で正さねばならない。それが郷土史家に課せられた使命だと思う。

歴史を語るのも、歴史を造るのも法律家でもなければ、三井家でもない。これは、地域の住民が千数年掛けて築きあげてきた共有財産なのだから・・歴史家の仕事だ。

能登が築いた歴史は、アメリカ進駐軍の造った法によって、ことごとく破壊された。国教分離の美名のもとで、破壊されてはいけない地域の歴史まで道連れにされてしまったのだ。

これからの未来の歴史は、地域と対立した独立宗教法人に築くことが出来るだろうか?地域が支援を放棄した気多大社を彼らが繕うことが出来るだろうか?未来に掉さす流れは、いつかきっと排除される。

管理人さん。ここは能登の文化財を守る歴史家として、ただしい史実を後世に残し、いつか必ず気多神社に春は来るまで頑張りましょう。

Re: 史実は曲げられない - jimoto 2010/04/30(Fri) 14:38 No.927

先日寺家会館に於いて、神社本庁の最高裁の結果経過報告会がありました。
私も出席拝聴してきました。当然管理人さん、春雷さん他寺家・一宮・滝の
主要な方々が見えられ、いかに気多神社問題を地元3町は心配されているか想像できました。然しながら神社本庁の報告はただただ残念、無念との事。
NORIさんが記述している通りと私もまったく同様の考えと認識していますので、
下記の通りNORI氏のコメントを私も貼り付けました。ご容赦の程を・・
何はともあれ悔しいの一言。

私がもし歴史を知らぬ教条主義の法律家なら・・・間違いなく最高裁判決と同じ結論に達していただろう。だが・・惜しむらくは私が能登の気多神社の歴史を知ってしまったことだ。・・ゆえに・・最高裁の判断は不当だと断言する。

しかし、地元の民さんが知るように、私が知るように、気多神社の独立は、日本の史実を無視し、地元の意向をないがしろにし、能登の祖先に泥を塗る国家的な大罪を、最高裁が認めてしまった結果なのだ。と云って、最高裁判事の歴史への無知蒙昧ぶりを嘆いても、もう取り戻せない。

これは気多大社の歴史が被った冤罪事件である。
その大罪を犯した判事どもを許すわけにはいかない。また十分な主張もせず、文科省(国家)に頼り切った神社本庁とて同罪である。神職の皆さまには、ただしい神の道の立て直しを期待している。

ある意味気多の大神が一番可哀想。境内には今後も入らないが地元の信仰心は変わらない。


Re: 史実は曲げられない - 春雷 2010/05/01(Sat) 10:25 No.930

<文科省(国家)に頼り切った神社本庁>これは違います。神社本庁は当事者になっている裁判に対応する方策は準備していらのですが、それ以前に文科省の方が負けてしまって手足を縛られてしまった恰好です。
先の最高裁の裁判は気多と文科省とのことで、一宗教法人神社本庁は全くの蚊帳の外で文科省神社本庁との連携は全く出来ないのです。
ですから、後は地元の皆さんが責任役員に塩を掛けられようとつばを吐かれようと一人ひとり説得して三井の罷免を実現するしかないのです。

Re: 史実は曲げられない - 葉ざくら 2010/05/01(Sat) 23:05 No.931

こんな事があって良いのでしょうか?
「規則に記載すべき財務項目を挙げた宗教法人法の条文は例示に過ぎず、必ず記載する必要があるとまではいえない」財産処分に関する条文を明記しなくても違法ではないとの結論では、責任役員が法に定められた通りに保全されるのが前提であってその役を果たさないであろう現状役員の場合はどうなるのでしょうか?
益々、気多が遠い存在になってしまいそうです。

Re: 史実は曲げられない - 春雷 2010/05/02(Sun) 09:29 No.932

全く葉ざくらさんの仰るとおりだと思います。新聞によると裁判長の判断は「初判断」だそうです。想定外の判断なのです。今後は訳の分からん判事が多く出てくるのでは。だから、民事にも裁判員裁判を取り入れたらどうでせうか?

いつかきっと帰ってきます。 - NORI 2010/04/22(Thu) 16:13 No.924   
帰る故郷が無くなって、残念です。
やはり文科省がオモテにたてば、戦前の国家神道への回帰を思い出す。悪い予感が当たって残念です。裁判官も杓子定規な政教分離の解釈で、デモクラシーを守る憲法の番人に立つのは、一見すれば正義に思えます。
しかし、長い能登半島の歴史を知らない法律家ならではの間違った判決です。

次の裁判官の国民審査では、これらの裁判官に不信任を突きつけ、少なくても能登の住民の怒りは、国政選挙の際の裁判官国民審査で示してほしいものです。全国平均よりも高い拒絶反応を示し、この裁判の不当性を世に知らしめたいものです。

歴史家は、なぜこんな特異な拒絶反応を能登の住民が示したのか、いつかきっと分析し、それがこの裁判への痛烈な批判であったことを、後世の人々に届けてくれると思います。今度の裁判に賛成した裁判官を弾劾するのは、国民審査しか残されていない。

気多神社は、能登の住民が護ってきた財産です。
やはり、住民訴訟で取り戻すしかないと思います。地元の皆さん。諦めず、地元に取り戻す手立てがないものか?法に照らしてご検討と運動を期待してします。
また、孫子の代まで、気多神社の正しい歴史を郷土資料館で伝え残すようお願いします。

宗教法人法(国教分離の原則)は、国家神道解体を狙ったマッカーサーが作らせた法律です。
その法の下で、国家公務員を解かれ、気多神社を去っていったオヤジさん。そのオヤジの息子は、このマッカーサーの法によって独立を勝ち取った。なんて皮肉な結末でしょうか。

Re: いつかきっと帰ってきます。 - 管理人 2010/04/22(Thu) 19:25 No.925

いや地元の民さん、ノリさんの怒りの声や納得いかない声が痛いほど伝わってきます。
私も全く同感ですし、これからも個人神社気多に対する地元の人達を応援する気持ちはいささかの揺るぎもありません。

今後三井達の気多神社は神社本庁の束縛を離れますます自由気ままな運営や金銭管理をやっていくものと思われます、でも彼等は「これから気多の運営は広く皆様方から選ばれた役員会の議決を経て・・・」などと言うでしょう。

しかしこの役員なる人達がくせ者なんです、いままでの運営同様”身内や気多で商売させてもらってる関係者”などのイエスマンで固められるのでしょうね。
そしてそれが”地元や能登の民意”だと言い張る三井の姿が浮かんできます・・・

まあ裁判をまだいくつも抱えてる三井です、これからも頑張りましょう!
気多が正常化したら又神社本庁に復帰する道もあるんでしょうね?

ばかげた裁判結果 - 地元の住民 2010/04/21(Wed) 12:10 No.922   
前日(20日)管理人からの紹介を得ましたとの事で、北国新聞社の記者より
神社問題のことで最高裁の判決は気多大社が勝訴との事、地元住民として如何かコメントをと、携帯電話ありました。「信じがたい事実」唖然として、記者の話を聞いてる内、だんだん興奮してきたので、あなた方はこれまで三井寄りの報道してきているが、地元は寺家町にオウム信者が新たに気多を占拠したぐらいの感覚であり
例え三井の勝訴の結果であっても、これまで同様の対応であり、今後も各種団体は三井一族に協力することはない。此れまでご先祖の方々が気多と供に協力し合い、助け合い、気多大社の信仰と威厳をお守りしてきたが、最高裁は三井の勝訴、まったく日本の司法はおかしい。逆に考えれば神社庁の戦いがぬるいのか?
記者には今後は三井神社と命名すれば、と地元の60歳代の意見があったと伝えてくれ。と申しておいた。(地元は馬鹿相手にしない)
「北陸中日新聞の冒頭に気多大社側勝訴」馬鹿書いているんじゃないと妻に朝から八つ当たり、三井側の勝訴の報道なら理解できるが。気多大社は県民市民みんなの神社なのだから、報道の自由もいいかげんな物。
21日は気分が悪いのは私だけだろうか。


Re: ばかげた裁判結果 - 春雷 2010/04/21(Wed) 21:04 No.923

http://www.courts.go.jp/hanrei/pdf/20100420150552.pdf
をご覧下さい。
それにしても新聞の国側のコメントにはあきれます。まるで他人事のような。あれじゃ始からやる気がなかったのでは?
三井は乗っ取り成就、万々歳てなとこやね。
気分が悪いのは地元の方だけではありません。裁判官もなに考えとるがか。(なんも考えとらんか)宗教界に及ぼす悪影響多大であると思いますが。今でさえ宗教法人を利用した脱税とか財産隠匿、処分とかあるのに。都会のもんらにはわからんがやね。なんぼ裁判官と言っても。民事にも裁判員制度を取り入れたら良いのに。

春は遠い - NORI 2010/04/17(Sat) 09:20 No.918   
4月17日、多摩の朝は、雪で屋根が真っ白です。
早く春が来ないと・・うんざりですね。

Re: 春は遠い - 管理人 2010/04/17(Sat) 17:36 No.919

>多摩の朝は、雪で屋根が真っ白です。

こんな朝タマにあるんだよね、春先の東京多摩地方じゃ!

テレビでも箱根の雪景色やってましたし、能登の外浦でも厳冬期に見られる「波の花」が出現!と新聞に出てました、4月中旬の波の花は新記録だとか、やっぱ異常気象なんですかね・・・

Re: 春は遠い - 管理人 2010/04/20(Tue) 21:25 No.921

明日の朝刊には三井達が神社本庁を離脱した記事が踊るんだろうね。
これからは気多神社の運営は三井の思うがまま、しかも宗教法人格はそのままだから税制の優遇は今まで通り、たまらんだろうね!

春は遠い・・・でも地元の気持ちは今まで以上に盛り上がるかもね!

地元批判に対して - 地元の民 2010/04/08(Thu) 16:39 No.916   
三井一族は裁判に負けても居座り続けることでしょう。どら猫の首をもち、境内以外へ出しても又直ぐ戻るでしょう。だって彼らは帰るところが無いし、他神主の様に鎮守様を抱えていないので、収入が無くなるので必死でしょうから。
日本の裁判審理に疑問が有だが、納得はしていない、然しながら、国を相手にけんかし、戦う三井に対し《地元は反三井の熱意が感じられないの意見、及び考え》は地元は三井一族に対して「相手にしない」の考えであり、得策と考えている。
だって地元に金銭のゆとりがない。以前地元3町会を告訴したのだから。
その時は地元町会の勝訴だったが、3町会とも裁判に対して、うんざりの心。
地元はおおむね皆その様な考えかな



Re: 地元批判に対して - 管理人 2010/04/10(Sat) 12:52 No.917

地元の民さん久し振りです。
地元の人と離反し、それでもインターネットやテレビ宣伝で地元抜きでもお客を集めるから大丈夫!
と豪語する神職がいるお宮さんの地元は大変ですね、地元が昔から慕ってきた気多神社に参拝出来ないもどかしさは察して余りあると思います、早く正常な状態になって欲しいですね。

今朝の新聞に加賀一ノ宮”白山比盗_社”で新しい宮司さんの就任を祝うお祭りが地元氏子や神社関係者が集まって行われた、との記事。

早く我が気多神社でも地元の人達にお祝いされて新しい宮司さんをお迎えしたいものです。

でもこのまま三井達が神社本庁を脱退し、気多を個人経営神社にしてしまったらもう永年培われてきた気多神社の歴史が終わってしまいます、もしそうなったら大変ですね!
そんな事にはならないし、したらいけません!

白山さんの村山新宮司さん、ご就任おめでとうございます。

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