早く気多神社に春を!

我が気多神社(通称:気多大社)がここ数年”宮司の覚え書き不履行”の裁判沙汰や地元住民とのゴタゴタで大変なことになってます、最近になって又神社本庁の離脱問題で又もめてます。そこで早く気多神社が正常な姿になって欲しいと願いこの掲示板を開設致しました。皆様の建設的なご意見をお待ちしております。(気多の正常化の妨げになるような投稿は管理人の判断で削除する場合がありますのでご了承下さい。)


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気多神社櫻井宮司家(2)‐気太君十千代と一族賜姓‐ - NORI 2013/05/08(Wed) 09:16 No.1300   
北陸は、その昔・むかし、<まつろわぬ越(コシ)の国>と呼ばれていた。<まつろわぬ越の国>とは、国家の命令に服従しない蝦夷(エミシ)の国と云った意味である。
そのころの日本は、<邪馬台国>から<ヤマト>の国と呼称を替え、箸墓古墳一帯の纒向(マキムク・奈良県桜井市)にはじめての統一王国が樹立されていた。<邪馬台国>が、このヤマト纒向を首都とするのか、九州にあったのか、はたまた出雲だったのかは、古代のロマンの中に埋もれたままだ。
ともかくも、現代に途切れず続く日本の古代王権にとっては、まつろわぬ北方蝦夷を従属させ、日本列島を統一国家に替えることが頭の痛い最大の政治課題だった。

その蝦夷の国に、ヤマト型の古墳を象徴とする支配構造を持ちこみ、越の国の橋頭保とされたのが、能登半島に鎮座する気多神社だった。当時の政治は、祀り事すなわち政り事。祭政一致が政治の根本であった。国家が祭祀する神を従わぬ蝦夷たちに信奉させることが、統一国家の国民の支配と従属の証だったのだ。

気多の神は、能登の国(羽咋・七尾)を皮切りに、越中の国(伏木)・越後の国(直江津)へと北進し、それぞれの国の守護神と崇められた。
この気多神社の本社神職として、ヤマト王権から派遣された祭祀族は、蘇我氏直系の櫻井朝臣の家系であった。・・と、明治政府により神職を追放されるまで、50数代も世襲神職を継承してきた上位神職櫻井八家の系図に残されていた。(その1前篇参照方)

気多神社の上位神職が櫻井八家に固定されたのは、天平一七年(745)のことだから。1268年前のことに遡る。この年、聖武天皇は紫香楽(信楽)宮に遷都し、その正月の行事で、遷都に従う女御・女官26名の功績を讃えて、叙位叙勲を与えたのである。詳細は当時の国記(国選歴史書)である続日本記に記されている。

その中の一人が<気太君(けたのきみ)十千代>であった。十千代は、正六位下から従五位下に格上げされ、二年後の天平一九年に、聖武天皇から<君>の姓(カバネ)を与えられた。<君>の姓は、古代王権の国造(くにのみやっこ)や、在地の部民(べみん)を率いる地方の伴造(とものみやっこ)の地位にある者に与えられたカバネである。その多くは、祭政一致の時代から、祭祀が分離された時代の有力神社の神職家に与えられている。

十千代と共に、櫻井一族八家は<気太君>を名乗ることが許された。以来、気多神社の上位神職八家は、<気太君櫻井>の姓を複性で名乗ることとなり、そのいわれを系図に残して氏姓継承してきたのである。
この習慣は、戦国末期まで続いていたが、能登半島が織田信長に平定され、前田利家が能登入部した際に、<櫻井姓>だけに戻している。京都を本拠とする能登国守護大名の畠山氏の滅亡とも期を一にする変革期であった。

ところでなぜ気太十千代は、地方出身出にして聖武天皇後宮の高級女官・内命婦(うちみょうぶ)まで出世したのだろうか?
聖武天皇の皇后は、あの正倉院を残した光明皇后である。妃は、藤原不比等と縣犬養(あがたいぬがい)三千代の娘に生まれた。皇室最初の皇族以外から皇后となった方である。当時の皇室を一手に仕切っていた女性が、縣犬飼養三千代であった。気太十千代は、三千代に気に入られ、光明皇后の入内とともに、皇后付き女官として皇室に勤めることになった。

当時の女官の役割は、後宮の雑務を司る女中ではない。王家の子女の養育を任される乳母の役(壬生部と称され、後世の貴族の荘園のような存在)を任されたのだ。乳母を任された豪族は、一族を挙げて献身的に皇子や皇女を支え、その皇子・皇女の立身出世が、支えた豪族の繁栄にもつながる仕組みであった。
能登半島一帯の皇室領の管理を任された気多神社神職櫻井一族は、能登の財力を持って王族一家の経営を支えたのである。こうした皇室直轄領から皇室に上納する慣習は、全国でも珍しく、江戸時代後半まで能登半島から櫻井神職家を通じて続けられてきた。

次回は、気太君櫻井氏が、養育を担った皇族について触れてみたいと思います。

なお、戦国時代から江戸時代初頭まで櫻井大宮司家で保管されていた古文書は、気多神社文書3巻にほぼ納められています。江戸時代中期以降は故あって公表されていませんが、加賀騒動との関連の謎をこのブログで明かしていきたいと思います。

気多神社と櫻井社家(そjの1) - NORI 2013/05/07(Tue) 18:51 No.1299   
私のブログ<団塊の越し方行く末>に気多神社の社家であった櫻井家について連載をはじめました。以下僭越ですが、転載します。

我が家は、能登半島羽咋市に鎮座する気多神社の宮司職を明治維新まで勤めた櫻井家の末裔に当たる。曽祖父まで神職を勤めたが、祖父の代に地元を離れ、神職とは縁が切れてしまった。明治初頭まで気多神社に奉職した櫻井家は20家ほどである。
今は社家とは無縁となったが、1200年以上も世襲神職を繋いできた能登半島最古参の家系について、しばらく我が家のルーツをたどり、本ブログに連載してみたいと思います。

気多神社は、北陸唯一の延喜式内大社に指定された神社で、奈良時代以前から<神宮>号をいただく神社は、この気多神社と、伊勢・石上(いそのかみ)・出雲・八幡・気比・閼宗(あそ)の七社だけにすぎない。北陸随一の格式高い神社であった。

我が家は、この越(こし)の国筆頭の神社の神職家として、明治になるまで五十数代にわたり連綿と神職を継承していた。越の国は、奈良時代以降に、越前・越中・越後・能登・加賀に分国されるが、その中心の能登に、ヤマト王権は、いまだ従わぬ北方蝦夷(えみし)を支配下に置く目的で、ヤマト王権の祭政一致の政治・経済・軍事・民政の橋頭保として気多神社を高くあがめ祀ったのである。

気多神社の祭神は、出雲の大国主命である。気多(けた)の名称もまた大国主命と深くかかわり、地名・神名は、出雲から発して日本海側に広がった。有名な因幡の白ウサギの神話も、気多岬である。

そのヤマト王権の北方経営の拠点とされた気多神社に派遣されたのが、畿内を本拠とする蘇我八腹の臣の一家である櫻井朝臣であった。我が家を含めた気多神社上位神職八家は、それぞれに受け継がれた系図の祖先を蘇我稲目と記している。

明治維新を支えた国学では、蘇我氏は天皇家に歯向かう大逆賊とされ、蘇我氏を祖とする櫻井社家は、世襲を禁じるとして気多神社から追放され、代りに国選宮司が明治政府から国家公務員として派遣された。しかしながら、気多神社には、特有の祭祀形態が残されていたので、国選宮司では対応できず、我が家を含めた数家が<常雇>と云う名称で、国選宮司の下で気多の祭祀を実質的に担う形が、第二次世界大戦終了まで残されていた。

戦前の歴史書では、蘇我氏はいわば天皇家の逆賊扱いだったから、櫻井系図は、外部には公表されず、気多神社の歴代宮司が蘇我氏系だと知る人は世間にはいなかった。蘇我氏が天皇系の逆賊ではなかったと否定されたのは、ごく最近のことである。

能登の古代史を考える上で、気多神社になぜ蘇我氏系櫻井氏が宮司に選任されたのか?
その理由と、大王(天皇)家と並ぶ大豪族の蘇我氏人脈が、能登に果たした役割をひも解くことは、能登半島と古代ヤマト王権との関わりを解明する重要なファクターと云えるだろう。

詳細は、拙書<気多祝の源流>を参照ください。残部がありますので、お読みになりたい方は、左欄のリンクから<真空管の音の喫茶店>HPを開き、ゲストブックからご連絡ください。国会図書館・石川県立図書館・羽咋市図書館にも置いてあります。

次回は、聖武天皇の時代に、能登から上京して天皇家後宮の上級女官を勤めた従五位下気太(けた)十千代と櫻井家について触れてみたいと思います。


Re: 気多神社と櫻井社家(そjの1) - 管理人 2013/05/10(Fri) 13:49 No.1301

下記のサイトはノリさんのお店です。
ブログに気多神社櫻井家の貴重な話が載ってます、ご覧下さい。
文筆家ノリさんの本領発揮部分です。

http://www.eastside-k.com/index.html




羽咋桜便り - 管理人 2013/04/16(Tue) 14:01 No.1287   
皆様のところの桜はどのようになってるのでしょうかね?
ここ羽咋では市内は満開で、郊外もそろそろ満開を迎える頃だと思います。

昨日能登の天文台「満天星」の20周年行事に行ってきましたがまだまだ蕾固しの状態でした。

先日東京銀座”のとだらぼっち”での楽しいひと時に”葉桜”さんから江戸の老舗「山本山」の海苔を頂いてそのまんまでしたが、お返し代わりに羽咋神社の満開の写真をお送り致します。
撮影は今日4月16日午前です。


Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/17(Wed) 12:07 No.1288

さっき羽咋神社のサクラ見てきました。
それも良いけど、管理人さんが先日写した地球にもう接近しないという天体(星?)の写真をアップして下さい。苦労話とかも。

Re: 羽咋桜便り - 管理人 2013/04/17(Wed) 19:14 No.1290

春雷さん、先日の新聞記事と写真見てくれたんですね。
それではご要望にお答えして新聞に掲載された写真をアップします。

3月中旬に地球に最接近し、今徐々に地球から遠ざかって行くパンスターズ彗星が4月5日の夜明け前に有名なアンドロメダ銀河の近くを通過したんですが、その瞬間を狙って能登門前の暗い山の中にあるダムに出かけて撮影してきました。(天体写真は暗い場所から撮るのが大切)

この彗星はこれから地球から遠ざかって行き、百年経っても千年経っても万年経ってももう地球に帰って来ることは無いとされています。
ですからアンドロメダとのツーショットは貴重な写真と言えます。

以上臨時天文教室でした!


Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/17(Wed) 22:31 No.1291

イヤーすごい写真なのですね。快挙ですね。事前にアンマリ噂というか話題にならなかったけど、その道の方々の間には高い関心があったのですね。地球にはいつ頃から近づいていたのですか?万年経っても遭える事がないなら、いづれあの世から眺める事にしませうか。上下どっちがアンドロさんですか?

Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/17(Wed) 22:32 No.1292

下のがアンドロさんですね。

Re: 羽咋桜便り - 管理人 2013/04/18(Thu) 17:36 No.1293

>下のがアンドロさんですね。

はいそうです。
彗星は尾をたなびかせて飛んでいて、その姿が掃除に使う帚に似ているので世間では”ホウキ星”とも呼ばれています。

それにしても素人衆に天文解説するのも疲れるな〜

以上超初心者向け天文教室でした!

Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/19(Fri) 12:11 No.1294

ご苦労様でした。
「教うるは学ぶの半ば」というコトワザ?もあります。
何事も超初心者に教えるには自分がよーく理解していないと出来まへん。管理人さんなりゃこそですわね。

Re: 羽咋桜便り - 管理人 2013/04/19(Fri) 12:22 No.1295

>管理人さんなりゃこそですわね。

誉められ?ついでに、今回のホーキ星の拡大写真をプレゼント致します。
ご笑覧ください。


Re: 羽咋桜便り - NORI 2013/04/19(Fri) 14:36 No.1296

東京は八重桜も、葉桜になって、いまはツツジが満開です。フジも花をつけ出しました。

先日、尾張犬山市の古代史研究グループの方から電話があり、尾張の蘇我氏の足跡が能登半島にもあるのではと、グループ旅行したのだそうですが、野との地元の研究者は誰も蘇我氏の足跡はないと否定され、ガッカリして帰られたそうです。
ひょんなことから、小生の<気多祝の源流>を知り、気多神社の代々の櫻井宮司家が古代にさかのぼる<蘇我氏>の系統だと知り、地元の研究者は、そんなことも知らないのかと、ガッカリされておりました。

このグループの方々は、蘇我氏との関連を調べるため、渤海・朝鮮半島まで史跡探訪を重ねる熱心な方々で、能登に残されたか数々の渡来系神社や、古墳を探れば、必ずや渡来人を統括した蘇我氏の足跡があるはずと期待されていたようです。

時に渤海交易の拠点だった能登半島は、蘇我氏が何らかの権益と橋頭保を確保していたと考えているようです。

Re: 羽咋桜便り - 葉ざくら 2013/04/24(Wed) 11:53 No.1298

見事な桜ですね。
山桜もあるのでしょうか。

私は、毎年祖父のお墓参りに染井霊園に参ります。ソメイサクラ発祥の地に相応しく大きな桜が何本かありますが今年はあまりの早さに間に合いませんでした。そのかわり、ご近所の小さな公園や学校、神社の周りで、十分楽しめました。

ホーキ星の写真、こちらもお見事ですね。
テレビのニュース報道ではこんなきれいな画像は紹介されなかったように思いますが・・・。マツシマ天文台ホームページだけに掲載されているのはもったいない!!
ほうき星と言えば、日本橋生まれの姑は子供の頃に自宅前の河原(現在の昭和通り)からハレーすい星を眺めた事を孫達に自慢気に話しておりました。八十過ぎで二度目のハレーすい星を観るためにわざわざ千葉県の鴨川まで出かけたのを思い出しました。そういえば、天文ファンだった姑は上野の科学博物館の天文クラブ会員でした。息子達に星座を教えてくれるのですが私は一向に覚えられなくて・・・いまだに天文音痴です。

銀座のとだらぼっちでの一夜 - 管理人 2013/03/30(Sat) 22:02 No.1285   
この28日は新橋駅で待ち合わせ、そのまま居酒屋?”のとだらぼっち”へ。

ここは能登の旦那衆26人で作ったお店だとか、メニューはほとんど能登の家庭料理かと見間違うようなモノばかり。
味は新鮮で美味、間違いなし!

店主(雇われマスター?)は良い職人さん、チーママ?がまた美形、思わず写真撮っちゃいました、掲示板に載せることも了解済み。

数々の能登の名酒の中から能登町「竹葉」の生酒を堪能、そのK馬酒造のK馬氏は能登のK信用金庫の理事長、たまたま私がこの信用金庫の総代をやってるご縁でこの日は名酒竹葉を。

同席したお二人さんは、古くは羽咋にある気多神社の本物の大宮司を務めた家柄(最近気多では簡単に何の権威も無い大宮司を名乗っている者が居るとかとか)。
さらには日本近代化学の父とも言われる化学者「櫻井錠二」のお孫さんにあたる方。
ドン百姓を先祖を持つアタシなんかは肩身の狭いことと言ったらそりゃもう・・・
櫻井錠二さんの事を余り知らない方の為にHPアドレスも載せておきます、ご参考の程を。

http://www.j-sakura.ne.nu/

「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/21(Thu) 11:20 No.1277   
「のと だらぼっち」派、新橋から歩いても近いですね。
5時からやってるから、覗いてみますか?
能登から酒も肴も直送で、こぬかイワシも屋べれる見たい。
高いそうなら、軽くやって、新宿に移動とか・・

葉桜さんもいかがですか?お飲みにはならないみたいですが・・・

新橋の駅前広場(機関車)の前5時ではいかがでしょうか?

Re: 「のと だらぼっち」 - 葉ざくら 2013/03/22(Fri) 12:20 No.1278

昨晩、主人と「千里浜」に行ってきました。
閉店を知った常連さんや”花木”のサラリーマン等で満員状態でしたが、管理人さんの小名前を告げると快く席を準備してくれました。
お刺身盛り合わせ、白子のポン酢、生ガキ、メダイの兜煮(写真は鯛のタイ)、イカ・アジの焼き物を注文すると、手際の良いスタッフがタイミング良く次々に出してくれます。
主人も余り飲まないので飢えた食べ盛りのようにガツガツ食し、久しぶりに新鮮なお魚を堪能し、リーズナブルで明瞭会計にも驚きでした。

ものすごい盛況なので大声を出さないと聞こえない程でしたが、女将さん(スタッフはママと呼んでいました)と石川県の話をかわし、お店を出るとご主人が待っていて丁寧に挨拶をしてくれました。これも管理人さん・NORIさん効果ですね。再開時期は決まっていない様子でした。

閉店は残念ですが、新規開拓「のと だらぼっち」も興味津々。詳細はメールさせて頂きます。


Re: 「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/26(Tue) 17:45 No.1279

千里浜、安くって美味しくってよかったのに残念です。
のと だらぼっち>念のため3人で予約しておきました。
カウンター席しかないとのことで、この時期混んでるんでしょうか。


Re: 「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/29(Fri) 09:06 No.1280

管理人さん、葉桜さんと能登だらぼっち。能登直送の魚は新鮮で美味しかったけれど、値段は銀座!!!でした。あまりガツガツ食べる店ではなく、銀座の夜に繰り出す前に、能登の地ものを肴に軽く飲んで腹ごしらえって感じの店でしょうか。靴を脱いであがる掘りごたつ式のカウンターはくつろげました。一人7千円弱は、千里浜の倍くらい。安くて美味しい千里浜の閉店が改めて惜しまれます。
管理人さんにあわせて飲んでしまった生ビール、地酒2合、焼酎2杯はまだ残っています。
次回は、羽咋の歴史シンポジューム開催に向けて、羽咋市内で飲みながら話しあいたいですね。
葉桜さん。老舗の山本山の海苔のお土産ありがとうございました。早速朝ごはんに添えていただいています。

Re: 「のと だらぼっち」 - 春雷 2013/03/29(Fri) 09:27 No.1281

そうですか、銀座の御値段でしたか。今思いついたげんけど、「千里浜」のご主人に、故郷の味を手軽に賞味できるお店を紹介してもろたらどやろか?
無いかね??

Re: 「のと だらぼっち」 - 春雷 2013/03/29(Fri) 09:39 No.1282

ネットで「のとねっと」を開き、そこに「首都圏にある石川ゆかりのお店」というのが有りますからそこでお調べ下さい。いくつもあります。但し御味、雰囲気、そして御値段は分かりません。


Re: 「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/29(Fri) 17:07 No.1283

首都圏にある石川ゆかりの店は、銀座界隈が多いですね。さすが日本海の海の幸を出す店は、どこも高級割烹が多いみたいで、社用族御用達でしょうか?

能登で安くて新鮮で美味しい魚を食べている人が、わざわざ上京して立ち寄る店ではない気がします。

千里浜のような、安くて、美味くて、良心的で、庶民が安心して飲める店が消えてしまうのは残念です。

銀座・千里浜(大衆割烹) - NORI 2013/02/20(Wed) 09:32 No.1265   
先日、銀座の千里浜に寄りました。3月に管理人さんと来るよって、云っときました。
それで、管理人さん。予定決まったらメールで連絡ください。

千里浜、うちのお客さんに紹介したら、とても安くて美味くって、その上に
私から紹介されたと云ったら、1品サービスしてくれたって喜んでました。
いつでも7時には満席。能登人の真面目で、誠実な商売が商売の秘訣なんでしょうね。新生歌舞伎座からも5分。ぜひ御贔屓に。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 管理人 2013/03/01(Fri) 12:23 No.1269

ノリさん、3月の川崎幸病院の診察の日が決まりました。
銀座千里浜の予定もメールしました、3月も末になると東京の桜は満開過ぎかな?
今回は前日に着いてスカイツリーなど見学して埼玉の娘宅に泊まる予定です。
銀座での飲み会?楽しみです。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - NORI 2013/03/15(Fri) 18:31 No.1271

千里浜では、管理人さんの名前云うと、なんか特別サービスしてくれるみたい。同郷のよしみですか。
銀座一の安くて上手い大衆割烹料理屋さんです。
羽咋/能登出身者の在京の方は、3月28日(木)千里浜に集まりましょうね。
合言葉は<気多に春を!!>です。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 葉ざくら 2013/03/15(Fri) 23:23 No.1272

管理人さん、NORIさん

銀座・千里浜をWebで検索して見ましたら、なんと3月23日で閉店するそうですよ。ビルの建て替えに依るそうです。
食べログの口コミで知りました。
閉店のお知らせ看板の写真もUPされています。

いつぞや、主人もご一緒した能登千里浜で頂いた美味しいお刺身を思いだし、閉店までに行って見ようと思っています。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 管理人 2013/03/17(Sun) 12:23 No.1273

いや〜葉ざくらさんからの投稿が無かったら、当日6時頃店の前でむさ苦しい男が2人、何処へ行こうか、あーだこーだと言ってるとこでした。
葉ざくらさんに感謝申し上げます。

と言う事でノリさん、28日6時頃待ち合わせどこにしましょうか。
田舎モンの私は新宿駅南口甲州街道の出口くらいしか分かりません、また店も居酒屋・焼き鳥・焼き肉・・・ぐらいしか思い出せません、どっか良いトコありますか?

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 春雷 2013/03/17(Sun) 21:19 No.1274

千里浜閉店ですか、お節介ながら「のと だらぼっち」というのがありますよ。前に聞いたことがありました。以下はネット掲載のコピーです。此処に行ってみたらどうやいね。

[ご案内] 東京都中央区銀座8−4−27

プラーザ銀座ビル地下1階(銀座外堀通り asics 前 )
   TEL 03−5537−3078  FAX03−5537−3083

 営業時間/17:00〜23:00  

定休日/日曜日、祝祭日
 交 通 /JR・銀座線「新橋駅」5 6 出口徒歩5分、 

銀座線・日比谷線・丸の内線

「銀座駅」C3 C4 銀座口 出口徒歩7分


Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 管理人 2013/03/20(Wed) 11:15 No.1275

春雷さんノトダラボッチの情報有り難うございます。
まさか春雷さんから銀座の店が出てくるなんて・・・!
参考にさせて頂きます。

最近またあの”オイデ祭り”が始まりました。
昨日市内アタシの家の近くをオイデ祭りの御輿を載せたトラック、馬を載せた大学馬術部のトラック、白丁なおどのアルバイトの学生を乗せたマイクロバス、神職を載せた黒いタクシーなどが走り去って行きました、かつての能登に春を呼ぶ巡行とは程遠い寂しい光景でした。

あんな光景を見るにつけても、早く気多を能登の住民に取り戻さねば、と強く思いましたね。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 春雷 2013/03/20(Wed) 22:13 No.1276

「のと だらぼっち」にいかっしゃったら感想をお知らせくだはれ。
「来ないで」祭りも形骸化してるよね。能登の者でない奴らの怨念と自己利益の為の神社運営ですから、なんとか行事を取り付くってやってるんですよ。神様には申し訳ないけど当分ほっとくしかないね。

訂正 - NORI 2013/02/10(Sun) 08:17 No.1261   
長谷部神社の御祭神は、鎌倉時代の地頭・左兵衛尉長谷部信連でした。お詫びかたがたご訂正ください。

Re: 訂正 - 管理人 2013/02/11(Mon) 12:36 No.1262

その初代長谷部信連ですが穴水町では毎年「長谷部祭り」が開催され、メーンイベントは町民から選ばれた信連公役が騎馬武者姿で町を行進します、私は未だ見てないのですが何時かは行ってみたい祭りですね。

天正5年上杉謙信により落城した難攻不落の七尾城ですが(以前ノリさん旧登城路から蚊に刺されながら歩いて登ったよね)、その時落城の一因になったのが長連竜の父長続連や兄など一族100人以上が殺されて、上杉方に通じていた遊佐・温井など家臣の裏切りだったんですよね。

幸運にもその時連竜が安土城の信長に救援を願いに行ってたので助かって、以降今まで長家は続いてます。

何と羽咋市にある浄土真宗大谷派で能登の触れ頭も務めた大寺”本念寺”の室や後妻に連竜の娘菊、尚連の娘染、明治に入ってからも連恭の娘協が入ってる事は余り知られていません。

Re: 長家 - NORI 2013/02/18(Mon) 09:32 No.1263

加賀藩5万石の重臣となった長家(金沢市長町はその家臣団の住まい跡)の家老職に山田六郎五郎家があります。
江戸時代中ごろに、櫻井大宮司家の娘は、加賀藩奥向きの中老を勤めたあと、山田家に嫁いでいます。

羽咋神社前の本念寺の鐘銘には、山田六郎五郎の名前が刻まれています。

Re: 訂正 - 管理人 2013/02/19(Tue) 11:04 No.1264

いつもアカデミックな投稿で我々の知識を満たしてくれるノリさん、今回も羽咋本念寺の鐘を紹介して頂きました。
実はあの梵鐘は「羽咋市指定文化財」なんです、そこで指定台帳などを見たらこんな事が書かれてました。
[要約]
あのは鐘は元々穴水の青龍寺にあったものを永禄9年に改鋳され(オリジナルは応永34年作)、銘文の筆頭が長続連となってるので孫娘菊(連竜の子)の本念寺輿入れの時の持参品と思われます。
(もちろん山田六郎五郎名も見えます)

作者は穴水中井(中居)の鋳物師の名工で全国に3点あるうちの一つです、他の2点は新潟県白山神社、岐阜県千光寺だそうです。
まだ書かれてますがこの辺で。

>櫻井大宮司家の娘は、加賀藩奥向きの中老を勤めたあと、山田家に嫁いでいます。

その大宮司ですが最近気多では三井の親父が大宮司、弟が宮司、息子が権宮司と名乗ってます。
もちろん今の気多社は神社本庁を離れ個人経営神社ですから、何をやっても自由なのですが、しかし由緒ある気多大宮司を軽々に名乗っては欲しくないですね。

Re:本念寺梵鐘 - NORI 2013/02/20(Wed) 10:12 No.1266

梵鐘を鋳造したのは、穴水町中居の藤原朝臣神前金右衛門清久。
穴水町誌によれば、この鐘は、永禄9年(1566)鋳造とされています。
中居の鋳物は、もっぱら塩窯鋳造など日用品が日々の糧。戦国時代は築城の鋳造で各地で中居の鋳物師は活躍されたようです。
その子孫は、明治まで中居に在住、昭和30年代までお住まいされ、30点近い古文書も残されていたそうですが、現在は他所に移住されて所在不明。

Re: 訂正 - 春雷 2013/02/28(Thu) 18:15 No.1267

ホンマニご無沙汰です。生きては居たのですが、・・・・・
「三井の親父が大宮司、弟が宮司、息子が権宮司」男性職員は辞めた三井の親父を入れて多分4人しかいないのにそのうち3人が「宮司」って付く役職のある神社は本邦では気多だけでせう。馬鹿な考えからしかこんな発想は出て来ない。セールスする名刺にそう書けば信用性が高まるとかんがえたのでしょうか??分からん連中です。もう一人の職員を「少宮司」にしてやれば良いのに、自分たちだけ「宮司」なら良いのか。

Re: 訂正 - 管理人 2013/03/02(Sat) 09:33 No.1270

いや〜やっぱ春はカミナリからですよね、昨日の夜も遠くに雪雷が鳴ってましたね。
雪に埋もれていた春雷さんの登場でこの掲示板も春の息吹が感じられます、よろしゅーお頼み申しますちゃ・・。

昨日の櫻井省三新聞記事より - 管理人 2013/02/03(Sun) 21:20 No.1257   
昨日の地元紙北國新聞に、この掲示板にも何度か登場した石川県が生んだ偉大な科学者「櫻井錠二博士」の兄櫻井省三の記事が出ておりました。
読んでいくうちに、知らなかった自分がいかに浅学非才のタダの人だったかとガックリしましたが、この掲示板にはその偉大な人にとても近い方もおります。

葉ざくらさん、ノリさん、記事を載せます。
そんな事知ってるよ!なんて云わないで見て下さい。
私はとても勉強になりました。反省も含めて・・・


Re: 昨日の櫻井省三新聞記事より - 葉ざくら 2013/02/05(Tue) 21:04 No.1258

石川県は、あまりにも偉大な方々が大勢排出された地ですので、管理人さんはちょっと大袈裟(失礼!)ではありませんか? 
祖父・錠二の次兄、省三を取り上げて頂いて感謝申し上げます。
東四柳様のお名前は珍しいご苗字ですから多分ノリさんがお詳しいと思います。

「工学博士の料理本」といっても現代のレシピ本ではなく、「仏蘭西式料理の分析表」(写真上段)は栄養素の分析が主で付録「仏蘭西式料理の名称」は調理名や材料名がフランス語と英語と日本語対訳の参考書のようです。
明治十年フランスに留学した時に、ホームステイ先の夫人に習ったのを基に西洋料理がまだ珍しい時代に記録として残されていたのを印刷されたと思われます。
錠二の孫の一人は西片町の省三宅で開かれていたお料理教室に通っていて、この写真にはない「フランス式料理の理論と応用」も保存していましたが、省三の曾孫に差し上げたそうです。戦災に合わなかったこの邸はその後の持ち主が当時の面影を残したままテラスのみ増築され、フレンチレストランを経営されていましたが、残念ながら平成18年春に閉店されました。

写真の下段は「フランス式料理の理論と応用」の付録です。二冊とも5,6年前に古書店で買い求めたものです。裏には≪家政二B ****≫と氏名があり、家政科の教材だったのでしょうか。ほほえましい限りです。


Re: 昨日の櫻井省三新聞記事より - 管理人 2013/02/06(Wed) 11:35 No.1259

貴重な写真やお話し有り難うございます。
私も遅ればせながら二人の兄、房記さん省三さんの事を少し調べてその素晴らしさに驚いています、チョット遅いですが・・・

お持ちでしょうが、錠二さんがサンタクロースに扮して櫻井家一族での記念写真を見つけましたが、あの時代では極めて珍しい写真なのでしょうね。

>東四柳様のお名前は珍しいご苗字ですから多分ノリさんがお詳しいと思います。

知ってると思います。
穴水の東四柳姓と云えば長谷部神社の宮司家が知られてます、おそらく宮司さんの娘さん?妹さん?かも知れませんね。(全く私の推測ですが)
あの宮司さんは國學院大出で今や石川県歴史界の重鎮の一人です。

羽咋市四柳町に住んでいる私の知人が面白い話をしてました。
曰く「穴水町の二人の神職さんはその昔四柳村に住んでいて、どんな理由かは知らないけど二人で穴水の2つの宮さんに行き、一人は四柳姓を少し東側の神社に行った人が東四柳姓を名乗ったとか・・」

Re: 昨日の櫻井省三新聞記事より - NORI 2013/02/09(Sat) 15:31 No.1260

以前に管理人さんに櫻井錠二家(権大宮司家)に関するレジメをお渡ししたけど・・その中で3兄弟について簡単に紹介しておりましたが、忘れちゃったかな?

東四柳家は、鎌倉御家人として能登に赴任された穴水城主の長谷部連続〈長家)を祀る長谷部神社の代々の神職家。四柳家の方が古い家系なので、おそらく中世末期から近世にかけた分家筋ではないでしょうか。

東四柳史明さんは、能登の中世史の今や第一人者ですね。

羽咋雪だより - 管理人 2013/01/04(Fri) 18:53 No.1254   
ノリさんご関心の羽咋の雪情報をお伝えします。

2日から雪が降りつづいてます、でもご心配なく、大雪ではありません。
今日孫達に唐戸山スキー場?(本来はスリバチ状の相撲場なのですが、冬は市民スキー場に変わります)でのソリ遊びにかり出されました。

ここは私にとっても小学生時代にスキー大会とかの思い出の場です。
でも寒かった!


Re: 羽咋雪だより - NORI 2013/01/11(Fri) 15:38 No.1255

唐戸山、古墳の土取り場の跡ですね。子供のスキーに最適ななだらかなスロープですね。

おめでとうございます - 管理人 2013/01/01(Tue) 22:20 No.1249   
皆様明けましておめでとうございます。
今年も宜しく御願い申し上げます。

今日の初参り写真を載せます。
3カ所ハシゴしてきましたが、最初は羽咋神社へ、櫻井宮司さんの元気な写真をどーぞ。


Re: おめでとうございます - 管理人 2013/01/01(Tue) 22:28 No.1250

続いて神社祭神で敷地内にある垂仁天皇の子イワツクワケ王の御陵も参拝。
大きな前方後円墳の前に立つと清々しい気持ちになります。


Re: おめでとうございます - 管理人 2013/01/01(Tue) 22:38 No.1251

次に五重塔で有名な妙成寺へ、ここで以前気多神社で出会った多くの羽咋市民に会いました!

その後に気多神社隣にある気多神宮寺の正覚院さん。
ご本尊の大日如来に手を合わせて護摩堂へ、あそこの護摩堂の厳かな雰囲気は何時訪れても良いですね。


Re: おめでとうございます - NORI 2013/01/03(Thu) 17:10 No.1252

おめでとうございます。写真でみると、雪はないみたいですね。
今年もよろしくお願いします。

Re: おめでとうございます - 管理人 2013/01/04(Fri) 12:53 No.1253

>写真でみると、雪はないみたいですね。

やっぱ東京・関東の人は雪に関心があるんですね。

1日は屋根の下や日陰に雪は残ってましたが、羽咋市内はほとんど雪無しの正月でしたが、2日から雪模様で今日も一面の銀世界です。
今も喫茶店で1時間ほどコーヒー飲んできたのですが、駐車場ではクルマのウインドーは真っ白!
クルマに積んでるT型のブラシで雪を落としてやっと家に帰ってきました。

まあ雪はこれからなので、大雪にならない事を祈ってます。

Re: おめでとうございます - 葉ざくら 2013/01/20(Sun) 16:13 No.1256

遅ればせながらおめでとうございます。

14日に降った雪は東京で10センチも積もって大雪でした。
今日現在でも凍結した日影の道路は歩くのも怖いくらいです。

羽咋神社の櫻井宮司さんの盛装姿はなかなかご立派ですね。
今度能登に伺ったらお詣りしたいと思っています。

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