早く気多神社に春を!

我が気多神社(通称:気多大社)がここ数年”宮司の覚え書き不履行”の裁判沙汰や地元住民とのゴタゴタで大変なことになってます、最近になって又神社本庁の離脱問題で又もめてます。そこで早く気多神社が正常な姿になって欲しいと願いこの掲示板を開設致しました。皆様の建設的なご意見をお待ちしております。(気多の正常化の妨げになるような投稿は管理人の判断で削除する場合がありますのでご了承下さい。)


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秋ですね - NORI 2013/10/19(Sat) 15:18 No.1312   
秋祭も終わり、能登もそろそろ冬支度ですね。釣るし柿もこれからですか?
先日、管理人さんの弟さんと同級で、羽咋高校から防衛大学に進まれた櫻井さんが、訪ねてこられて、色々と櫻井家のルーツや気多神社の話をしました。
お酒を飲まれないのが残念ですが、わが家系のは大酒飲みか、全く飲まないかの両極端の人種が混在するようです。
御父上は、旧制羽咋中学から陸軍士官学校に進んだ最初の方だったとか。
明治に官選宮司が派遣されたため、最期の大宮司となった基辰翁と兄弟の家系で、基生さんとも縁続き。

共に、気多神社が地元に愛される神社に戻ることで、話が盛り上がりました。

Re: 秋ですね - 管理人 2013/10/21(Mon) 23:05 No.1313

ノリさん久し振りです。
弟の同級生と会ったんですか、よかったですね、私も会ったら分かる方かも知れませんね。
しかも気多最後の大宮司家ゆかりの家の人とか。

実は今月31日に羽咋市役所のホールで市老人クラブ連合会の講演会に呼ばれてます、演題は「羽咋の知られざる歴史」と予定しています。

話は市民の誰でも知ってる場所の話でも、実は余り知らない事があるのでそんな歴史秘話みたいな話を予定してます。

出てくるのは妙成寺の秘密、市内の余り知られていない城や砦跡、羽咋七塚のハナシ、一の宮の信濃さんまいのハナシ、かつて正式な大宮司がいた気多神社の事、最近気多に登場した大宮司・宮司・権宮司のスゴイ話はどーしようかな?など色々と・・・
パソコンで写真も入れながら楽しい一時間半にしたいと思ってます。

主催者は200人位の参加と言ってましたが、そんなに来るとは思えませんが、でも老人会以外の人達も来るとか言ってましたっけ。


Re: 秋ですね - NORI 2013/10/22(Tue) 08:55 No.1314

管理人さんの弟さんと羽咋高校同窓で同じクラブの方は、、お父さんが気多神社の総代を勤め、三井氏宮司就任の際に、将来基生さんに宮司職を譲る約束に立ち会ったそうです。全く円満な話し合いで、居直るとは想像も出来なかったと。大社焼の磯見さんと同じころ?

旧宅は随神門を出たすぐ前にあり、今は気多神社が全く管理しないので、今後の保全が心配だと。三井氏が宮司を譲らず居直る理由は、台風で壊れた神社の修復に三井氏が個人資産をかなり使ったので他人には任せられないとか何とかゴタクを述べているようです。
元々、、私財を投げ出すほどの資産家でもなく、地元を離れて事情を知らない人に自己を正当化させる話で同情を得たいと思っているのでしょうか。帰省のたびに、三井氏とは会うみたいです。


Re: 秋ですね - 二代目会長 2013/11/02(Sat) 13:06 No.1315

>管理人さんの弟さんと同級で、羽咋高校から防衛大学に進まれた櫻井さん、

懐かしい名前が出てきました。私とも同窓生でよく知っています。高校を終わってから会っていないので、防衛大卒業後、仕官したのか、民間に入ったのか分かりません。

今年開催した、第20回卒業生の同窓会にも欠席でした。管理人さんの弟さんとはお会いして、彼らの部屋で2時頃まで飲んでいたのが昨日の事のようです。


>今月31日に羽咋市役所のホールで市老人クラブ連合会の講演会に呼ばれてます、演題は「羽咋の知られざる歴史」と予定しています。

私も話しを拝聴してきました。地元にいても初めて聞く話しに驚きました。

「面白い話しだった。」と帰り際に話していた人が居ましたよ。確かに昼寝の時間だったが、1時間30分ずっと聞く事が出来ました。

私の隣のおばちゃん(おばあちゃん?)は中川の人で、中川城の話しを興味津々で聞いていましたし、私が管理人さんの友達だと話すと、持っていた「南天のど飴」をくれました。しかも、3回も

ちなみに私は、老人会には入っていません。まだ若いですから、誤解のないように……。



Re: 秋ですね - 管理人 2013/11/02(Sat) 13:57 No.1316

いや〜2代目会長(羽咋星の会)の柴垣町のIさんも櫻井さんと同級生でしたか!世間は狭いです。

あの講演会、200名程の参加と主催者から聞いていたのですが、マジ満員御礼、補助椅子にまで座って聞いて頂きました、感謝。
後ろの方パソコンの写真見えなかったのでは・・?

2代目会長は絶対寝るだろうと思っていたのですが、最後までマジメに聞いて頂きました、寝てイビキかいたら演台の水掛けてやろうと思ってましたが・・・。

多くのご出席者の皆さんありがとうざいました。

無題 - NORI 2013/06/26(Wed) 17:47 No.1306   
梅雨ですね。
なにか新しい話題はありませんか?

Re: 無題 - 管理人 2013/06/28(Fri) 18:00 No.1307

いや〜梅雨の中だるみですね、そのうち梅雨明けぐらいに明るい話題でもあればいいんですが・・。

古代編完了とのことご苦労さまでした、一杯ご馳走したいところですが幸な・・いや遠いので叶いません、残念です!

またそのうちにやれるでしょう。

Re: 無題 - NORI 2013/07/01(Mon) 17:49 No.1308

櫻井錠二家と大宮司家の関係についても、ほぼ完結しました。加賀騒動に関してはあまり広げると他の社家の方にも、話が及ぶので、どうしようか考慮中です。
羽咋市市民歴史シンポジュームはやれそうですか?

Re: 無題 - 葉ざくら 2013/07/09(Tue) 21:02 No.1309

ご無沙汰をしているうちに、「権大宮司家の顛末」も完結してしまったのですね。大作ゆえに、家事の合間に読むのに二日も要しました。

錠二家だけ神道なのですが、東京は7月がお盆ですので先祖累代甚兵衛さんも喜んでいることでしょう。
NORIさんの貴重なお時間を割いて頂いて感謝いたします。

無題 - NORI 2013/05/31(Fri) 11:16 No.1305   
5月30日の私のブログで、「気多神社と櫻井家(8)」で、古代編は完了いたしました。
6月からは、明治に石川県が生んだ偉人の一人、近代生化学の第一人者として初代東大理学部長を勤めた櫻井錠二家と気多神社の関係。
更には加賀騒動に巻き込まれた櫻井大宮司家と、加賀藩士に取りたてられた錠二家祖先の関係など、歴史に隠れた謎を解き明かしてまいります。

無題 - NORI 2013/05/10(Fri) 16:37 No.1302   
連載[気多神社と櫻井社家]は、私のブログ<団塊の越し方行く末>
http://geocities.yahoo.co.jp/gl/rchpp904で、今後10回くらい連載する予定です。このHPへの転載は今回限りとし、ご興味がありましたら、上記ブログをご覧いただきたくお願い申し上げます。
<加賀騒動に連座した大宮司家>、<石川県が生んだ科学者・櫻井錠二家と気多神社の関係> など、いままで公表されていない近世史について紹介したいと思っています。

<能登国気多神社櫻井宮司家が支えた皇子たち(3)>

能登の国、気多神社の櫻井八家は、都に登って立身出世する気多(太)十千代を、一族を挙げて支え続けた。その功績により、従五位下と気太君の姓(カバネ)を聖武天皇から授かった。以来、気多神社の櫻井大宮司家は、宮中から従5位下の位を授かるのが近世まで慣例として続いていた。
気太君十千代は、さらに天平宝字四年(760)五月に従五位下から正五位上を授かり、<内命婦(みょうぶ)>の地位に就いた。地方出身の女官としては異例の出世で、中央貴族・王女の列に加えられたのだ。十千代は、光明皇后が指揮する皇后宮職として、東大寺造営の写経所にしばしば顔を出している。

地方豪族から宮廷に参内して勤める女性は、一般に<采女(うねめ)>と称された。だが国司と並ぶ地位にあった気多神社の神職家から選ばれた才女は、はじめから采女の上位職の<女孺(じょじゅ・めのわらわ)>で参内したから、ここまで異例の出世を遂げたのであろう。
当時の宮中慣習で、女官の賜姓ともに一族にも同時賜姓の名誉が与えられる例は、その一族が天皇家の皇族の子女の養育を担い、その皇女・皇子が役職に就いた際に、養育の功績を讃えられ、叙位叙勲される慣例になっていた。
気多神社が管理する皇室直轄領地は、能登半島一帯に<気多神宮領>として、邑知潟平野から奥能登まで広がっていた。この邑知潟の経済力が気多十千代を都で活躍させる資金源だったのだ。

では気多十千代とその一族は、当時どの皇子の養育に関わっていたのだろうか?
それをひも解くカギは<気多(けた)>である。当時の皇子・皇女の諱(いみな)は、養育に携わった部民集団の呼称を名乗っている。十千代は、<気多神宮領地>を代表する女官だったので、出生の櫻井姓ではなく、<気多(太)神社>に因む姓が新たに与えられたのだろう。
それでは<気多>を名乗る皇子・皇女は、実際にいるのだろうか。存在しても、気太十千代と年代が一致しないと関連性は薄い。

調べてみると、古代の皇室で気多を名乗る皇子は、二名いたのである。

〇慶雲元年(704)従四位下に叙せられた気多王。
○天平神護二年(766)従五位下に叙せられ、翌年、鍛冶正(たんやのかみ:宮内省に属する製銅・製鉄を管理する長官)に任ぜられた気多王。

気太君十千代が関わった皇子は、年代的な整合性を考えると後者であったと考えられる。
この気多王は、続日本記によれば、桓武天皇の生母、高野新笠(790年没)と、桓武天皇皇后・乙牟漏(789年没)の葬儀の際の御葬司(葬儀委員長)を勤め、造斎宮司・中宮御葬司・皇后御葬司など<巫女王の誕生と葬送儀式>にかかわる皇室の祭祀・儀礼長官の役割を担っていた。
北陸随一の気多神社の祭祀族櫻井氏が育て、能登の経済力が支えた皇子として、なんとも相応しい皇子の役割ではないだろうか。

Re: 無題 - 葉ざくら 2013/05/29(Wed) 11:49 No.1303

我が祖父櫻井錠二の先祖に繋がる、ノリさんの連載「気多神社と櫻井家」は貴重な情報原です。永年に亘るご研究の集大成ともいえるノリさんの私家本「渚の祈り「気多の祝りの源流」等からも詳細が記述されていますが、なかなか読むのにエネルギーが必要です。
ノリさんと先祖の足跡を訪ねる能登の旅もご一緒しました。

錠二家には残念ながら加賀藩に仕官して武家になった寛保3年(1743)頃からの由緒帳しか残されていません。加賀藩資料や錠二自身が書き残した履歴書や累代家系図が手掛かりなのですが、年に一度か二度、金沢の近世資料館で得られる資料等で裏付けや新資料探しもしていますが、時間の制約もあり、なかなか進みません。
ノリさんの連載には消えてしまった歴史の一部を証明するジグソーパズルの一片を提供して頂いているよなことですので、貴重で有難いことと感謝しております。
私も浮世の雑事に追われながらも先祖と気多神社の繋がりを大切に思い続けております。




Re: 無題 - 管理人 2013/05/30(Thu) 23:41 No.1304

このように「葉ざくら」さんや「ノリ」さんのように由緒正しい気多神社ゆかりの人達が、気多について調べて語ってくれてます、地元の私なんかただぽかーんと聞いてるだけではバチが当たりそうです、皆さんももっと関心を持って応援してくださいね!

気多神社櫻井宮司家(2)‐気太君十千代と一族賜姓‐ - NORI 2013/05/08(Wed) 09:16 No.1300   
北陸は、その昔・むかし、<まつろわぬ越(コシ)の国>と呼ばれていた。<まつろわぬ越の国>とは、国家の命令に服従しない蝦夷(エミシ)の国と云った意味である。
そのころの日本は、<邪馬台国>から<ヤマト>の国と呼称を替え、箸墓古墳一帯の纒向(マキムク・奈良県桜井市)にはじめての統一王国が樹立されていた。<邪馬台国>が、このヤマト纒向を首都とするのか、九州にあったのか、はたまた出雲だったのかは、古代のロマンの中に埋もれたままだ。
ともかくも、現代に途切れず続く日本の古代王権にとっては、まつろわぬ北方蝦夷を従属させ、日本列島を統一国家に替えることが頭の痛い最大の政治課題だった。

その蝦夷の国に、ヤマト型の古墳を象徴とする支配構造を持ちこみ、越の国の橋頭保とされたのが、能登半島に鎮座する気多神社だった。当時の政治は、祀り事すなわち政り事。祭政一致が政治の根本であった。国家が祭祀する神を従わぬ蝦夷たちに信奉させることが、統一国家の国民の支配と従属の証だったのだ。

気多の神は、能登の国(羽咋・七尾)を皮切りに、越中の国(伏木)・越後の国(直江津)へと北進し、それぞれの国の守護神と崇められた。
この気多神社の本社神職として、ヤマト王権から派遣された祭祀族は、蘇我氏直系の櫻井朝臣の家系であった。・・と、明治政府により神職を追放されるまで、50数代も世襲神職を継承してきた上位神職櫻井八家の系図に残されていた。(その1前篇参照方)

気多神社の上位神職が櫻井八家に固定されたのは、天平一七年(745)のことだから。1268年前のことに遡る。この年、聖武天皇は紫香楽(信楽)宮に遷都し、その正月の行事で、遷都に従う女御・女官26名の功績を讃えて、叙位叙勲を与えたのである。詳細は当時の国記(国選歴史書)である続日本記に記されている。

その中の一人が<気太君(けたのきみ)十千代>であった。十千代は、正六位下から従五位下に格上げされ、二年後の天平一九年に、聖武天皇から<君>の姓(カバネ)を与えられた。<君>の姓は、古代王権の国造(くにのみやっこ)や、在地の部民(べみん)を率いる地方の伴造(とものみやっこ)の地位にある者に与えられたカバネである。その多くは、祭政一致の時代から、祭祀が分離された時代の有力神社の神職家に与えられている。

十千代と共に、櫻井一族八家は<気太君>を名乗ることが許された。以来、気多神社の上位神職八家は、<気太君櫻井>の姓を複性で名乗ることとなり、そのいわれを系図に残して氏姓継承してきたのである。
この習慣は、戦国末期まで続いていたが、能登半島が織田信長に平定され、前田利家が能登入部した際に、<櫻井姓>だけに戻している。京都を本拠とする能登国守護大名の畠山氏の滅亡とも期を一にする変革期であった。

ところでなぜ気太十千代は、地方出身出にして聖武天皇後宮の高級女官・内命婦(うちみょうぶ)まで出世したのだろうか?
聖武天皇の皇后は、あの正倉院を残した光明皇后である。妃は、藤原不比等と縣犬養(あがたいぬがい)三千代の娘に生まれた。皇室最初の皇族以外から皇后となった方である。当時の皇室を一手に仕切っていた女性が、縣犬飼養三千代であった。気太十千代は、三千代に気に入られ、光明皇后の入内とともに、皇后付き女官として皇室に勤めることになった。

当時の女官の役割は、後宮の雑務を司る女中ではない。王家の子女の養育を任される乳母の役(壬生部と称され、後世の貴族の荘園のような存在)を任されたのだ。乳母を任された豪族は、一族を挙げて献身的に皇子や皇女を支え、その皇子・皇女の立身出世が、支えた豪族の繁栄にもつながる仕組みであった。
能登半島一帯の皇室領の管理を任された気多神社神職櫻井一族は、能登の財力を持って王族一家の経営を支えたのである。こうした皇室直轄領から皇室に上納する慣習は、全国でも珍しく、江戸時代後半まで能登半島から櫻井神職家を通じて続けられてきた。

次回は、気太君櫻井氏が、養育を担った皇族について触れてみたいと思います。

なお、戦国時代から江戸時代初頭まで櫻井大宮司家で保管されていた古文書は、気多神社文書3巻にほぼ納められています。江戸時代中期以降は故あって公表されていませんが、加賀騒動との関連の謎をこのブログで明かしていきたいと思います。

気多神社と櫻井社家(そjの1) - NORI 2013/05/07(Tue) 18:51 No.1299   
私のブログ<団塊の越し方行く末>に気多神社の社家であった櫻井家について連載をはじめました。以下僭越ですが、転載します。

我が家は、能登半島羽咋市に鎮座する気多神社の宮司職を明治維新まで勤めた櫻井家の末裔に当たる。曽祖父まで神職を勤めたが、祖父の代に地元を離れ、神職とは縁が切れてしまった。明治初頭まで気多神社に奉職した櫻井家は20家ほどである。
今は社家とは無縁となったが、1200年以上も世襲神職を繋いできた能登半島最古参の家系について、しばらく我が家のルーツをたどり、本ブログに連載してみたいと思います。

気多神社は、北陸唯一の延喜式内大社に指定された神社で、奈良時代以前から<神宮>号をいただく神社は、この気多神社と、伊勢・石上(いそのかみ)・出雲・八幡・気比・閼宗(あそ)の七社だけにすぎない。北陸随一の格式高い神社であった。

我が家は、この越(こし)の国筆頭の神社の神職家として、明治になるまで五十数代にわたり連綿と神職を継承していた。越の国は、奈良時代以降に、越前・越中・越後・能登・加賀に分国されるが、その中心の能登に、ヤマト王権は、いまだ従わぬ北方蝦夷(えみし)を支配下に置く目的で、ヤマト王権の祭政一致の政治・経済・軍事・民政の橋頭保として気多神社を高くあがめ祀ったのである。

気多神社の祭神は、出雲の大国主命である。気多(けた)の名称もまた大国主命と深くかかわり、地名・神名は、出雲から発して日本海側に広がった。有名な因幡の白ウサギの神話も、気多岬である。

そのヤマト王権の北方経営の拠点とされた気多神社に派遣されたのが、畿内を本拠とする蘇我八腹の臣の一家である櫻井朝臣であった。我が家を含めた気多神社上位神職八家は、それぞれに受け継がれた系図の祖先を蘇我稲目と記している。

明治維新を支えた国学では、蘇我氏は天皇家に歯向かう大逆賊とされ、蘇我氏を祖とする櫻井社家は、世襲を禁じるとして気多神社から追放され、代りに国選宮司が明治政府から国家公務員として派遣された。しかしながら、気多神社には、特有の祭祀形態が残されていたので、国選宮司では対応できず、我が家を含めた数家が<常雇>と云う名称で、国選宮司の下で気多の祭祀を実質的に担う形が、第二次世界大戦終了まで残されていた。

戦前の歴史書では、蘇我氏はいわば天皇家の逆賊扱いだったから、櫻井系図は、外部には公表されず、気多神社の歴代宮司が蘇我氏系だと知る人は世間にはいなかった。蘇我氏が天皇系の逆賊ではなかったと否定されたのは、ごく最近のことである。

能登の古代史を考える上で、気多神社になぜ蘇我氏系櫻井氏が宮司に選任されたのか?
その理由と、大王(天皇)家と並ぶ大豪族の蘇我氏人脈が、能登に果たした役割をひも解くことは、能登半島と古代ヤマト王権との関わりを解明する重要なファクターと云えるだろう。

詳細は、拙書<気多祝の源流>を参照ください。残部がありますので、お読みになりたい方は、左欄のリンクから<真空管の音の喫茶店>HPを開き、ゲストブックからご連絡ください。国会図書館・石川県立図書館・羽咋市図書館にも置いてあります。

次回は、聖武天皇の時代に、能登から上京して天皇家後宮の上級女官を勤めた従五位下気太(けた)十千代と櫻井家について触れてみたいと思います。


Re: 気多神社と櫻井社家(そjの1) - 管理人 2013/05/10(Fri) 13:49 No.1301

下記のサイトはノリさんのお店です。
ブログに気多神社櫻井家の貴重な話が載ってます、ご覧下さい。
文筆家ノリさんの本領発揮部分です。

http://www.eastside-k.com/index.html




羽咋桜便り - 管理人 2013/04/16(Tue) 14:01 No.1287   
皆様のところの桜はどのようになってるのでしょうかね?
ここ羽咋では市内は満開で、郊外もそろそろ満開を迎える頃だと思います。

昨日能登の天文台「満天星」の20周年行事に行ってきましたがまだまだ蕾固しの状態でした。

先日東京銀座”のとだらぼっち”での楽しいひと時に”葉桜”さんから江戸の老舗「山本山」の海苔を頂いてそのまんまでしたが、お返し代わりに羽咋神社の満開の写真をお送り致します。
撮影は今日4月16日午前です。


Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/17(Wed) 12:07 No.1288

さっき羽咋神社のサクラ見てきました。
それも良いけど、管理人さんが先日写した地球にもう接近しないという天体(星?)の写真をアップして下さい。苦労話とかも。

Re: 羽咋桜便り - 管理人 2013/04/17(Wed) 19:14 No.1290

春雷さん、先日の新聞記事と写真見てくれたんですね。
それではご要望にお答えして新聞に掲載された写真をアップします。

3月中旬に地球に最接近し、今徐々に地球から遠ざかって行くパンスターズ彗星が4月5日の夜明け前に有名なアンドロメダ銀河の近くを通過したんですが、その瞬間を狙って能登門前の暗い山の中にあるダムに出かけて撮影してきました。(天体写真は暗い場所から撮るのが大切)

この彗星はこれから地球から遠ざかって行き、百年経っても千年経っても万年経ってももう地球に帰って来ることは無いとされています。
ですからアンドロメダとのツーショットは貴重な写真と言えます。

以上臨時天文教室でした!


Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/17(Wed) 22:31 No.1291

イヤーすごい写真なのですね。快挙ですね。事前にアンマリ噂というか話題にならなかったけど、その道の方々の間には高い関心があったのですね。地球にはいつ頃から近づいていたのですか?万年経っても遭える事がないなら、いづれあの世から眺める事にしませうか。上下どっちがアンドロさんですか?

Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/17(Wed) 22:32 No.1292

下のがアンドロさんですね。

Re: 羽咋桜便り - 管理人 2013/04/18(Thu) 17:36 No.1293

>下のがアンドロさんですね。

はいそうです。
彗星は尾をたなびかせて飛んでいて、その姿が掃除に使う帚に似ているので世間では”ホウキ星”とも呼ばれています。

それにしても素人衆に天文解説するのも疲れるな〜

以上超初心者向け天文教室でした!

Re: 羽咋桜便り - 春雷 2013/04/19(Fri) 12:11 No.1294

ご苦労様でした。
「教うるは学ぶの半ば」というコトワザ?もあります。
何事も超初心者に教えるには自分がよーく理解していないと出来まへん。管理人さんなりゃこそですわね。

Re: 羽咋桜便り - 管理人 2013/04/19(Fri) 12:22 No.1295

>管理人さんなりゃこそですわね。

誉められ?ついでに、今回のホーキ星の拡大写真をプレゼント致します。
ご笑覧ください。


Re: 羽咋桜便り - NORI 2013/04/19(Fri) 14:36 No.1296

東京は八重桜も、葉桜になって、いまはツツジが満開です。フジも花をつけ出しました。

先日、尾張犬山市の古代史研究グループの方から電話があり、尾張の蘇我氏の足跡が能登半島にもあるのではと、グループ旅行したのだそうですが、野との地元の研究者は誰も蘇我氏の足跡はないと否定され、ガッカリして帰られたそうです。
ひょんなことから、小生の<気多祝の源流>を知り、気多神社の代々の櫻井宮司家が古代にさかのぼる<蘇我氏>の系統だと知り、地元の研究者は、そんなことも知らないのかと、ガッカリされておりました。

このグループの方々は、蘇我氏との関連を調べるため、渤海・朝鮮半島まで史跡探訪を重ねる熱心な方々で、能登に残されたか数々の渡来系神社や、古墳を探れば、必ずや渡来人を統括した蘇我氏の足跡があるはずと期待されていたようです。

時に渤海交易の拠点だった能登半島は、蘇我氏が何らかの権益と橋頭保を確保していたと考えているようです。

Re: 羽咋桜便り - 葉ざくら 2013/04/24(Wed) 11:53 No.1298

見事な桜ですね。
山桜もあるのでしょうか。

私は、毎年祖父のお墓参りに染井霊園に参ります。ソメイサクラ発祥の地に相応しく大きな桜が何本かありますが今年はあまりの早さに間に合いませんでした。そのかわり、ご近所の小さな公園や学校、神社の周りで、十分楽しめました。

ホーキ星の写真、こちらもお見事ですね。
テレビのニュース報道ではこんなきれいな画像は紹介されなかったように思いますが・・・。マツシマ天文台ホームページだけに掲載されているのはもったいない!!
ほうき星と言えば、日本橋生まれの姑は子供の頃に自宅前の河原(現在の昭和通り)からハレーすい星を眺めた事を孫達に自慢気に話しておりました。八十過ぎで二度目のハレーすい星を観るためにわざわざ千葉県の鴨川まで出かけたのを思い出しました。そういえば、天文ファンだった姑は上野の科学博物館の天文クラブ会員でした。息子達に星座を教えてくれるのですが私は一向に覚えられなくて・・・いまだに天文音痴です。

銀座のとだらぼっちでの一夜 - 管理人 2013/03/30(Sat) 22:02 No.1285   
この28日は新橋駅で待ち合わせ、そのまま居酒屋?”のとだらぼっち”へ。

ここは能登の旦那衆26人で作ったお店だとか、メニューはほとんど能登の家庭料理かと見間違うようなモノばかり。
味は新鮮で美味、間違いなし!

店主(雇われマスター?)は良い職人さん、チーママ?がまた美形、思わず写真撮っちゃいました、掲示板に載せることも了解済み。

数々の能登の名酒の中から能登町「竹葉」の生酒を堪能、そのK馬酒造のK馬氏は能登のK信用金庫の理事長、たまたま私がこの信用金庫の総代をやってるご縁でこの日は名酒竹葉を。

同席したお二人さんは、古くは羽咋にある気多神社の本物の大宮司を務めた家柄(最近気多では簡単に何の権威も無い大宮司を名乗っている者が居るとかとか)。
さらには日本近代化学の父とも言われる化学者「櫻井錠二」のお孫さんにあたる方。
ドン百姓を先祖を持つアタシなんかは肩身の狭いことと言ったらそりゃもう・・・
櫻井錠二さんの事を余り知らない方の為にHPアドレスも載せておきます、ご参考の程を。

http://www.j-sakura.ne.nu/

「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/21(Thu) 11:20 No.1277   
「のと だらぼっち」派、新橋から歩いても近いですね。
5時からやってるから、覗いてみますか?
能登から酒も肴も直送で、こぬかイワシも屋べれる見たい。
高いそうなら、軽くやって、新宿に移動とか・・

葉桜さんもいかがですか?お飲みにはならないみたいですが・・・

新橋の駅前広場(機関車)の前5時ではいかがでしょうか?

Re: 「のと だらぼっち」 - 葉ざくら 2013/03/22(Fri) 12:20 No.1278

昨晩、主人と「千里浜」に行ってきました。
閉店を知った常連さんや”花木”のサラリーマン等で満員状態でしたが、管理人さんの小名前を告げると快く席を準備してくれました。
お刺身盛り合わせ、白子のポン酢、生ガキ、メダイの兜煮(写真は鯛のタイ)、イカ・アジの焼き物を注文すると、手際の良いスタッフがタイミング良く次々に出してくれます。
主人も余り飲まないので飢えた食べ盛りのようにガツガツ食し、久しぶりに新鮮なお魚を堪能し、リーズナブルで明瞭会計にも驚きでした。

ものすごい盛況なので大声を出さないと聞こえない程でしたが、女将さん(スタッフはママと呼んでいました)と石川県の話をかわし、お店を出るとご主人が待っていて丁寧に挨拶をしてくれました。これも管理人さん・NORIさん効果ですね。再開時期は決まっていない様子でした。

閉店は残念ですが、新規開拓「のと だらぼっち」も興味津々。詳細はメールさせて頂きます。


Re: 「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/26(Tue) 17:45 No.1279

千里浜、安くって美味しくってよかったのに残念です。
のと だらぼっち>念のため3人で予約しておきました。
カウンター席しかないとのことで、この時期混んでるんでしょうか。


Re: 「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/29(Fri) 09:06 No.1280

管理人さん、葉桜さんと能登だらぼっち。能登直送の魚は新鮮で美味しかったけれど、値段は銀座!!!でした。あまりガツガツ食べる店ではなく、銀座の夜に繰り出す前に、能登の地ものを肴に軽く飲んで腹ごしらえって感じの店でしょうか。靴を脱いであがる掘りごたつ式のカウンターはくつろげました。一人7千円弱は、千里浜の倍くらい。安くて美味しい千里浜の閉店が改めて惜しまれます。
管理人さんにあわせて飲んでしまった生ビール、地酒2合、焼酎2杯はまだ残っています。
次回は、羽咋の歴史シンポジューム開催に向けて、羽咋市内で飲みながら話しあいたいですね。
葉桜さん。老舗の山本山の海苔のお土産ありがとうございました。早速朝ごはんに添えていただいています。

Re: 「のと だらぼっち」 - 春雷 2013/03/29(Fri) 09:27 No.1281

そうですか、銀座の御値段でしたか。今思いついたげんけど、「千里浜」のご主人に、故郷の味を手軽に賞味できるお店を紹介してもろたらどやろか?
無いかね??

Re: 「のと だらぼっち」 - 春雷 2013/03/29(Fri) 09:39 No.1282

ネットで「のとねっと」を開き、そこに「首都圏にある石川ゆかりのお店」というのが有りますからそこでお調べ下さい。いくつもあります。但し御味、雰囲気、そして御値段は分かりません。


Re: 「のと だらぼっち」 - NORI 2013/03/29(Fri) 17:07 No.1283

首都圏にある石川ゆかりの店は、銀座界隈が多いですね。さすが日本海の海の幸を出す店は、どこも高級割烹が多いみたいで、社用族御用達でしょうか?

能登で安くて新鮮で美味しい魚を食べている人が、わざわざ上京して立ち寄る店ではない気がします。

千里浜のような、安くて、美味くて、良心的で、庶民が安心して飲める店が消えてしまうのは残念です。

銀座・千里浜(大衆割烹) - NORI 2013/02/20(Wed) 09:32 No.1265   
先日、銀座の千里浜に寄りました。3月に管理人さんと来るよって、云っときました。
それで、管理人さん。予定決まったらメールで連絡ください。

千里浜、うちのお客さんに紹介したら、とても安くて美味くって、その上に
私から紹介されたと云ったら、1品サービスしてくれたって喜んでました。
いつでも7時には満席。能登人の真面目で、誠実な商売が商売の秘訣なんでしょうね。新生歌舞伎座からも5分。ぜひ御贔屓に。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 管理人 2013/03/01(Fri) 12:23 No.1269

ノリさん、3月の川崎幸病院の診察の日が決まりました。
銀座千里浜の予定もメールしました、3月も末になると東京の桜は満開過ぎかな?
今回は前日に着いてスカイツリーなど見学して埼玉の娘宅に泊まる予定です。
銀座での飲み会?楽しみです。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - NORI 2013/03/15(Fri) 18:31 No.1271

千里浜では、管理人さんの名前云うと、なんか特別サービスしてくれるみたい。同郷のよしみですか。
銀座一の安くて上手い大衆割烹料理屋さんです。
羽咋/能登出身者の在京の方は、3月28日(木)千里浜に集まりましょうね。
合言葉は<気多に春を!!>です。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 葉ざくら 2013/03/15(Fri) 23:23 No.1272

管理人さん、NORIさん

銀座・千里浜をWebで検索して見ましたら、なんと3月23日で閉店するそうですよ。ビルの建て替えに依るそうです。
食べログの口コミで知りました。
閉店のお知らせ看板の写真もUPされています。

いつぞや、主人もご一緒した能登千里浜で頂いた美味しいお刺身を思いだし、閉店までに行って見ようと思っています。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 管理人 2013/03/17(Sun) 12:23 No.1273

いや〜葉ざくらさんからの投稿が無かったら、当日6時頃店の前でむさ苦しい男が2人、何処へ行こうか、あーだこーだと言ってるとこでした。
葉ざくらさんに感謝申し上げます。

と言う事でノリさん、28日6時頃待ち合わせどこにしましょうか。
田舎モンの私は新宿駅南口甲州街道の出口くらいしか分かりません、また店も居酒屋・焼き鳥・焼き肉・・・ぐらいしか思い出せません、どっか良いトコありますか?

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 春雷 2013/03/17(Sun) 21:19 No.1274

千里浜閉店ですか、お節介ながら「のと だらぼっち」というのがありますよ。前に聞いたことがありました。以下はネット掲載のコピーです。此処に行ってみたらどうやいね。

[ご案内] 東京都中央区銀座8−4−27

プラーザ銀座ビル地下1階(銀座外堀通り asics 前 )
   TEL 03−5537−3078  FAX03−5537−3083

 営業時間/17:00〜23:00  

定休日/日曜日、祝祭日
 交 通 /JR・銀座線「新橋駅」5 6 出口徒歩5分、 

銀座線・日比谷線・丸の内線

「銀座駅」C3 C4 銀座口 出口徒歩7分


Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 管理人 2013/03/20(Wed) 11:15 No.1275

春雷さんノトダラボッチの情報有り難うございます。
まさか春雷さんから銀座の店が出てくるなんて・・・!
参考にさせて頂きます。

最近またあの”オイデ祭り”が始まりました。
昨日市内アタシの家の近くをオイデ祭りの御輿を載せたトラック、馬を載せた大学馬術部のトラック、白丁なおどのアルバイトの学生を乗せたマイクロバス、神職を載せた黒いタクシーなどが走り去って行きました、かつての能登に春を呼ぶ巡行とは程遠い寂しい光景でした。

あんな光景を見るにつけても、早く気多を能登の住民に取り戻さねば、と強く思いましたね。

Re: 銀座・千里浜(大衆割烹) - 春雷 2013/03/20(Wed) 22:13 No.1276

「のと だらぼっち」にいかっしゃったら感想をお知らせくだはれ。
「来ないで」祭りも形骸化してるよね。能登の者でない奴らの怨念と自己利益の為の神社運営ですから、なんとか行事を取り付くってやってるんですよ。神様には申し訳ないけど当分ほっとくしかないね。

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