私の日記帳

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2001年11月04日(日) 
文化祭のこの連休、今日はいい天気でした。
10時から隣町の葬式に出て、午後からは羽咋美術公募展の表彰式に出席してRC会長賞の授与をしてきました。
洋画、日本画、彫刻などレベルも年々高くなってるとか、出展者の皆さん頑張って下さい!
今週は東北へ文化財の研修旅行が控えている、ああ忙しい!

2001年11月08日(木) 
7日、8日と市の文化財保護審議会の研修旅行で会津若松方面へ行って来ました。
矢張りあそこは悲劇の地ですね。幕末の戊辰戦争での奥羽越列藩同盟の悲しい物語、
白虎隊の悲劇、特に白虎隊終焉の地飯森山の自刃の場からお城を見たら特にその感慨を深いものにします。
すぐ傍には15才ぐらいの若さで自決していった19名の墓が並び、今でも線香の煙は絶えません
近くには自決したけれども蘇生して生き残り、昭和まで数奇な運命をたどった飯沼貞吉の墓もあり
感慨深いものがあります。
多分自分が死んだら墓は、あの時自決した飯森山の19名の同士の墓の傍に立ててくれと言っていたのかも知れません。
合掌。
帰りの磐越道から見た磐梯山、新潟山形の県境にある朝日連峰の山並み、奥只見の素晴らしい紅葉は
130数年前のそんな悲劇をしばし忘れさせてくれる程見事なものでした。 

2001年11月20日(火) 
今朝の読売に私が撮った流星写真が掲載されていました。他紙は全て数個の流星が飛んでいるモノですが
読売は記者の判断で大火球が痕を伴って流れている迫力ある写真の掲載でした。拍手!

それにしても、今回の”しし座大流星雨”!こんなに素晴らしく感動的で劇的なものになると誰が予測したでしょう?
アッシャー博士の予測はありましたが、HR5000とか言われてもピンと来ませんでしたが、でも現実に遭遇してみたら
これはもう、この世の出来事とは思われませんでした!
現に、東京の天文仲間が家に帰ってきても未だ信じられなくて、ホッペをつねったと言うんですから・・
とにかく私は死ぬまで”あの大流星雨”の時この目で見て、写真も撮ったんだよ、と子や孫や皆に自慢しまくるでしょう!

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